教養

国レベルで問題視されていた日本の商業モラル 原因は封建制度


2021.05.04

渋沢栄一は、明治35年(1902)、62歳で妻と欧米を巡る旅をしました。まずアメリカに渡り、その若々しい発展ぶりに圧倒され、これからはアメリカの時代だという認識を深めます。その後、イギリスを訪問するのですが、ここで渋沢にとって大変ショックな出来事が起きます。イギリスの商業会議所の会員に、「日本の商売人は約束を守らない。あなたの力で改善してもらえないか」と直接苦情を言われたのです。当時の日本人が商業道徳に欠ける振る舞いをしていた原因の一つに、渋沢は江戸時代の封建制度の影響を見たといいます。作家で中国古典研究家の守屋 淳(もりや・あつし)さんが解説します。

 

*  *  *

 

「どうも日本人は、他人に対しての約束をはなはだ守らない。いわゆる信用が堅固ではない。たとえば景気がよくて売れそうだと思うと注文品を早く引き取るが、これに反して売れそうもないと注文品をなかなか引き取らない。日常の取引であるから、いちいち契約書を作るわけにもいかない。あらかじめ手紙のうえ、あるいは電報の引合いによって送ってやる。品物を自分に都合がよいと引き取るが、都合の悪いときはぐずぐずいって引き取らない。これはほとんど日本人の習慣といってよい。私ばかりではない、どこの商人もみな困っている。そもそも日本人は信用というものを重んじていない。これを直してくれないと、今までの取引をさらに発展させるということは難しいように思う。

 

次には少しいうのが憚れるが、インボイス(請求書)を二重に書けといわれる。事実のインボイスと、それよりもっと安価のインボイスとを書かせる。その原因は税金を免れようというのである。そんな偽りはイヤだというと、取引を断るというので、仕方なくその要求に応じる人もままあるけれども、これらの行為は誠に心苦しい。このような悪弊はぜひ渋沢などの力によって矯正してもらいたいものだ。そうすれば貿易はますます繁昌する」)

『論語講義』憲問第十四 筆者訳

 

こうした振舞いは、このイギリス人が取引していた日本人に限ったことではありません。当時の日本の商人の多くが、似たような行為を繰り返していました。

 

この頃の商業道徳を国際比較の観点で研究した、ロンドン大学のジャネット・ハンター教授によると、明治時代後半、イギリスのマスコミは、日本の商業道徳はヒンドゥー教徒やトルコ人よりはるかに低いと評価していたそうです。国内での商売を見ても、たとえば現在も世界中で親しまれている「ブラック&ホワイト」というスコッチウイスキーがあります。当時の日本では、その劣悪なコピーである「ホワイト&ブラック」と名付けられた商品が大々的に販売されたりしていました。

 

日本の農商務省が明治17年(1884)に出した『興業意見』には、「商業は規律なく営まれているため、詐欺こそ商業の本質と見なされるようになった」という記述もあります。『興業意見』は現在の経済白書に当たるものであり、すでに日本の商業のモラルは、国レベルで問題視されていたのです。

 

日本人の商業道徳に問題があることは、渋沢ももちろん耳にしていました。しかし、面と向かって苦情を言われたことで、彼は大きなショックを受けます。日本の実業界は、渋沢が手塩にかけて育ててきた、子供のようなもの。その子供を面と向かって「噓つき」と言われてしまったのですから、当然でしょう。『論語と算盤』には、日本の商業人の有様を嘆いたこんな言葉が残っています。

 

日本の商工業者は、いまだに昔の慣習から抜け出せずに、ややもすれば道徳という考え方を無視して、一時の利益に走ってしまう傾向がある。これでは困るのだ。欧米人も常に日本人がこの欠点を持っていることを非難し、商取引においては日本人を完全に信用しようとはしない。これはわが国の商工業者にとって大変な損失である。

 

封建制度の影響

 

渋沢は、商人たちが道徳に欠ける振舞いをしていた原因の一つに、江戸時代の封建制度の影響を見ました。

 

孔子や孟子がいうところの民、つまり治められる側の一般民衆は、上からの命令を素直に聞いて、村や町から課せられた仕事や行事をサボらなければそれでいい、といういじけた根性に馴染んでしまった。言葉を換えると、社会の基本的な道徳など、治める側が身につければよいもの、農民は政府から与えられた田畑を耕し、商人はソロバンでもちまちまやっていれば何も問題ないという考え方が染みついてしまったのだ。国家を愛するとか、道徳を重視するといった考え方は、どこかにいってしまったのである。

 

元々、封建社会によって商人たちの道徳が失われつつあったところに、明治維新と文明開化によって、利益追求の欲望をあおるような文物や学問が持ち込まれた。それが商業道徳の低下に追い打ちを掛けたというのが、渋沢の見立てでした。

 

欧米でも、倫理の学問が盛んである。品性を磨きあげよという主張も盛んにされている。しかし、その出発点は宗教なのだ。この点、日本人の心情とは一致し難い面があった。一方で、利益を増大させ、産業を興すのに覿面(てきめん)に効果のある科学的知識、つまり利益追求の学問はもっとも広く歓迎され、もっとも大きな勢力となっていった。豊かさと地位とは「人類の性欲」とでもいうべきものだが、初めから道徳や社会正義の考え方がない者に向かって、利益追求の学問を教えてしまえば、薪に油を注いでその性欲を煽るようなもの。結果は初めからわかっていたのだ。

 

イギリスで受けた苦情の内容は、江戸から続くこうした流れの帰結だったと渋沢は考えていました。この状況を何としても変えなければならない。その思いに突き動かされ、渋沢は「論語と算盤」を掲げ、信用と商業道徳の重要性を強く訴えていくことになります。

 

■『NHK100分de名著 渋沢栄一 論語と算盤』より

このエントリーをはてなブックマークに追加

  • bnr-texttop2021-300×56

  • テキストビュー300×56

  • bnr-eigo2021_300×56px

000000818512021_01_136

NHK「100分de名著」ブックス バートランド・ラッセル 幸福論

2021年03月25日発売

定価 1100円 (本体1000円)

000064072672021_01_136

NHK出版 学びのきほん くらしのための料理学

2021年03月25日発売

定価 737円 (本体670円)

000064072682021_01_136

NHK「香川照之の昆虫すごいぜ!」図鑑 Vol.1

2021年03月16日発売

定価 1210円 (本体1100円)