藤井システム誕生前夜


平成の将棋界はどのように動いてきたのか。平成の将棋界をどうやって戦ってきたのか。勝負の記憶は棋士の数だけ刻み込まれてきた。連載「平成の勝負師たち」、2021年2月号は藤井猛(ふじい・たけし)九段が登場する。
* * *
今夜は眠れそうにない。
藤井猛は思った。
平成7年12月21日の夜、関西将棋会館3階宿泊室で明日を見つめていた。
「特別な日でした。昂(たか)ぶりと覚悟と」
対局前夜の恍惚(こうこつ)と不安。いつものことだが、少し違った。決闘に向かう自分が新しい武器を隠し持っていたからだ。
午後11時過ぎ、同階の棋士室をのぞいてみる。自分と同じ順位戦B級2組の対局を翌日に控える有森浩三六段(肩書は当時、以下同)、デビュー2年目の矢倉規広四段がいた。声を掛ける。
「有森さん、10秒将棋を指しませんか」
「え、今から〜? 冗談やないわ〜」
「じゃ、矢倉君、お願い」
真夜中の藤井―矢倉戦。後輩が2連勝した。「新四段に連敗してるようじゃ俺もダメだな……」と苦笑いを浮かべつつ、藤井は「もう一番!」と願い出た。
「ようやく勝てて……。緩めてくれたんですね(笑)。で、何とか眠れた。明日は勝負なんだ、という感覚とは少し違ったんです。『巨人の星』で星飛雄馬が大リーグボールを初めて投げる日の前夜のようなものなのかもしれない」
3日前、第45期王将戦挑戦者決定リーグ最終戦で羽生善治六冠が谷川浩司王将への挑戦権を得た。世間は七冠に再び挑む寵児(ちょうじ)が描く夢を追っていた。喧騒(けんそう)から遠く離れた遠征先の部屋で、ある若者が抱く野心など誰も知る由もなかった。
発火する一局
36日前の11月15日、藤井は銀河戦で深浦康市五段に惨敗する。四間飛車の趣向を堅牢(けんろう)な居飛車穴熊に封じられ、なす術(すべ)もなく敗れ去った。
「手つかずの穴熊にボコボコにされて。勝って2局指すつもりだったのに午前中で負けて帰るのは虚(むな)しいんですよ。もうこんな将棋は指したくない、こんなことを繰り返していても俺に未来はやってこない、と考えながら帰りました」
一人で暮らす1Kのアパートに帰ると、盤駒を出して早速、研究を始めた。穴熊に組まれる前に居玉のまま急襲する――。長年、発想として抱きながらも実現するとは到底思えなかった研究対象に、今こ
そ本気で取り組もうと決めた。
「中川大輔さんから夕方に電話があって一緒にしゃぶしゃぶを食べに行ったことも覚えてるんですけど(笑)、とにかく負けた当日から研究を始めました」
未踏峰への登攀(とうはん)。一歩ずつ足元を確かめながら研究の頂へと歩んでいった。
「まず、居飛車がノーガードで指してきた場合に潰せるかどうか。これができないと話にならない。深く調べてみると、居玉で攻めたとき思った以上に破壊力があることは分かりました。で、現実的に実戦で指せるかを検証する。この手を指されたら、この手順になったら、と居飛車の対応との距離を測っていくんです。少しずつ居飛車の守備力を高めながら、どのくらいまでなら潰せるかを調べていきました」
※続きはテキストでお楽しみください。
※肩書は2020年12月21日現在のものです。
■『NHK将棋講座』連載載「平成の勝負師たち」2021年2月号より