師匠・杉本昌隆八段から見た藤井聡太二冠の人物像


平成の将棋界はどのように動いてきたのか。平成の将棋界をどうやって戦ってきたのか。勝負の記憶は棋士の数だけ刻み込まれてきた。連載「平成の勝負師たち」、2021年1月号では、杉本昌隆(すぎもと・まさたか)八段が、弟子の藤井聡太(ふじい・そうた)二冠とのエピソードを綴る。
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藤井聡太。平成28年に史上最年少棋士として華々しくデビュー。公式戦初戦の加藤一二三九段戦から負けなしの29連勝。将棋オープン戦(連覇)、新人王戦で優勝を飾るなど新人離れした活躍を見せている。数々の新記録を打ち立てて、令和2年に棋聖と王位を獲得。二冠となり現在に至る。
デビューからこれほどまで注目され、記事になり、語られる棋士は過去にいない。だが、本人は至って謙虚、そして、シャイである。
数々の新記録は本人の努力の賜物(たまもの)ではあるのだが、将棋ブーム、藤井ブームはこの道を作ってこられた将棋界の先輩方のおかげでもある。
今回は藤井のインタビュー記事ではない。私がそれをするのは、師匠として不自然な気がしたからだ。といったわけで、私の目から見た藤井聡太を日常的な、何気ない言葉などから彼の人物像を述べてみたい。なお、タイトル保持者に対しては「二冠」と肩書で語るべきだが、過去の出来事も述べていること、親愛の情も込めて「藤井」とさせていただく。
優勝の舞台裏で見せた素顔
初めての棋戦優勝は平成30年度の将棋オープン戦。準決勝で羽生善治九段、決勝では広瀬章人八段というトップ棋士を破っての優勝は記憶に新しい。
準決勝の羽生九段対藤井戦。将棋は角換わりの難しい内容だったが、中盤の折衝で藤井がリードを奪い、押し切った。
決勝は広瀬八段―藤井戦。準決勝に続き再び角換わりに。中盤で桂得の戦果を挙げた藤井がまたもや形勢をリードする。
静寂の中「藤井の初優勝が見たい」というファンの思いがビリビリと伝わってくる。藤井は盤上だけでなく、会場の空気までも支配していた。
終盤に放たれた▲4四桂のタダ捨てが絶妙で藤井の勝利。15歳にして初優勝を決める。
終局後の裏側。関係者があわただしく動き回る優勝直後、部屋の隅で手持ち無沙汰の私。そこに、にこやかな笑みを浮かべて羽生九段が近づいてくる。
「おめでとうございます」
「いえ、弟子の優勝なので」
「いえいえ、師匠ですから」
師匠冥利(みょうり)に尽きる瞬間でもある。
対局や表彰式を終えて、控え室に藤井が戻ってくる。
「優勝おめでとう」
「ありがとうございます」
私の祝福の仕方がいまひとつなのかもしれないが、毎回この類いの会話は盛り上がらない。それは藤井の「記録」そのものへのこだわりが薄いせいもあるのかもしれない。
対局中は落ち着いているが、将棋盤から離れると「学生」や「若さ」を感じることがよくある。
連盟関係者にエスコートされ、一緒に裏口から打ち上げ用の別会場に向かう。すでに出席者はそろっており、主役を待つ状態だった。
会場に向かう藤井の足取りが軽く、そして早い。私が前を歩いているはずなのにいつの間にか横に並ばれ、追い越しかかっている。何となく(まだ追い越されるわけにはいかない)と私も速度を上げる。私は息を切らし、藤井は表情を変えずに会場に到着。自然と目に入った藤井のスニーカー姿が何だかまぶしかった。
2年目の朝日杯は、準決勝で行方尚史八段(当時)を破っての決勝進出。そして対渡辺明棋王(当時)戦に挑んだ。
中盤、玉の堅い渡辺棋王のペースかと思われたが、ギリギリで均衡を保つ藤井。駒を盤面全体に広げる大模様で、横綱相撲と言っていい。緩急自在の指し回しは見事だった。
優勝再び。1年前と同じように、競うように小走りで打ち上げ会場に到着する。このような場では、師弟はあえて近くには座らない。渡辺棋王と同じテーブルにいる藤井を見て「厳しい質問をされて困っていないかな」と一瞬思うが、それは無用の心配。トップ棋士との同席はきっと良い経験になったことだろう。
※続きはテキストでお楽しみください。
■『NHK将棋講座』2021年1月号より