片岡聡九段、少し回り道をした10代の頃


天元2期のタイトル獲得を筆頭に、早碁棋戦で3度の優勝。本因坊戦で挑戦者となった実績をはじめとして、三大リーグ在籍は通算19期に及ぶ。昭和後期から平成にかけて確かな足跡を残した片岡聡(かたおか・さとし)九段。小学4年生で院生となり、中学1年生で入段を果たすなど、順調に棋士としてのスタートを切るが、中学校を卒業した頃から足踏みをしてしまう。
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碁を覚えたのは幼稚園か小学校1年のときだったと思います。父から手ほどきを受け、小学校低学年のときには、学校から自宅へ帰る途中にあった碁会所にランドセルを背負ったまま寄って、夕飯の時間になると帰るみたいな毎日を過ごしていたようです。
そうこうしているうちに強くなっていきまして、小学校3年のときにある人の紹介で、榊原章二九段(故人)が主宰しておられた囲碁クラブに通うようになりました。そのクラブで榊原先生に教わったり、強い会員さんに打ってもらったりすることを1年ほど続けまして、4年生のときに「院生に入ってもよかろう」という経緯だったと思います。
僕は院生になってから実質3年間で入段を果たしたのですが、非常に順調だったのではないでしょうか。2年目に最終の本予選にまで出ていたのですが、その年は全く入段争いには絡めなかったので、いわゆる「痛恨の敗戦」で入段を逃したわけではありません。
そして3年目の本予選では順調に白星を重ね、すんなりと入段──中学校1年のときでした。
入段して2年目くらいまで、つまり中学校を卒業するまでは、まずまずの成績を挙げていたのですが、その後の2、3年間は全然駄目でした。真面目に勉強していないんですよ。碁盤がホコリをかぶっているような状態ですから…。
というのも僕は、師匠の勧めもあって高校に進学していたのです。そうしたらいろいろな遊びが面白くなってしまい、碁に取り組まなくなってしまいました。当時はロックが好きだったものですから、バンド活動なんかに専念していまして、そっちのほうばかり…。
ですから当然、碁の成績はひどかったのですが、日本棋院から『棋道』や『囲碁クラブ』といった雑誌が送られてきますよね。すると同世代の山城宏さんや王立誠さん、かつてよく遊んだ小林覚さんらの活躍が載っている──それを見ているうちに「これでいいのか」という気持ちになりましてね、高校2年の夏休みに「もう一度きちんと碁をやろう」と思い直し、高校を中退したのでした。
それからは自分の部屋で一日中、碁の勉強をしていたものです。自分が弱いのは分かっていましたから、とにかく技術を向上していくしかないわけで、プロになってから初めて本気になって勉強した日々でした。
入段した当初から、これくらい勉強していればよかったのだろうけど、まあしかたがありませんね。回り道があったから、このときにこれだけ集中して勉強できたとも言えるのでしょうから。
■『NHK囲碁講座』2014年7月号より