落語の源流のひとつは仏教のお説教だった


世界でも類を見ないユニークな形態の芸能である落語と、独特の展開を遂げてきた日本仏教のお説教。実はこのふたつは源流のところで結びついています。また、互いに影響を与え合ってきました。『NHK趣味Do楽 落語でブッダ 落語がわかる 仏教が楽しくなる』は、そこを掘り下げていき、深読みをしていくという番組です。
講師の浄土真宗本願寺派 如来寺第19世住職の釈徹宗(しゃく・てっしゅう)さんと、第1回の放送で古典落語「仏馬(ほとけうま)」を演じる落語家 柳家喬太郎(やなぎや・きょうたろう)師匠が、落語と仏教の関わりについて対談しました。
釈 仏教と落語に橋を架けて深読みしていこう、という番組なんです。
喬太郎 そうですってねえ。教養番組に出るのは初めてなんですよ。スタッフにも言ったんです、オレなんかでいいの? と(笑)。
釈 お寺で落語をする機会は、そんなに多くないですか。
喬太郎 いえ、けっこうありますね。落語好きのご住職も多いですし。主催する土地の方がご住職に話をして広いご本堂をお借りするとか。
釈 お寺で落語をするのは相性がいいんじゃないかと思ってるんです。
喬太郎 お寺はもともと、ご住職の説法を大勢の人が聴くのに適したつくりになっているような気がします。
釈 そうなんです。落語の源流のひとつに仏教のお説教があるんです。
喬太郎 お寺さんでは、ご本尊を背にして高座に上がることが多いんで、バチが当たるような気がして。たま〜に、どういうお気遣いかわかりませんが、高座に花が添えてあって……今日はオレの法事なのか、と思うこともあるんですが(笑)。
釈 もともと「高座」という言葉は「お説教をする場所」を指していました。和服を着て座布団に正座する落語のスタイルは、仏教のお説教の影響を色濃く残していると言えます。お扇子を持つのもおそらく、お坊さんの使う、「中啓(ちゅうけい)(扇)」が源流でしょう。落語界では手拭いを「まんだら」と呼びますが、あれも、四角くて模様がついている様子を曼荼羅(まんだら)に見立てたわけです。また「前座(ぜんさ)」は、本格的な大説教者が出る前にお話する「前座(まえざ)」から来ています。そう考えると、説法と芸能という目的の違いはあるものの、形態は共通しているんですね。
■『NHK趣味Do楽 落語でブッダ 落語がわかる 仏教が楽しくなる』より