「盤面を射ぬくような目でにらめ!」米長邦雄永世棋聖の叱咤


12月18日は米長邦雄(よねなが・くにお)永世棋聖の一周忌にあたる。将棋連盟の理事、会長を歴任し、将棋界のために生涯を通して尽力した大人物であった。その筆頭弟子である伊藤能(いとう・のう)六段は中学生のときに6級で奨励会に入会し、米長永世棋聖の門下となった。
「昇級ペースは遅々としたものだった」と本人が振り返るように、三段になったのは22歳のとき。「よし、一気に行くぞ」の意気込みもかなわず、復活した三段リーグでも弟弟子に先を越され、四段昇段に四苦八苦する。「もうダメだ」という思いが頭を支配しつつあった25歳のとき、活を入れてくれた師匠の厳しい言葉とは――。
* * *
私は25歳になっていた。
それまでの良いところ取りで9連勝か13勝4敗から、半年に上位2名になったわけだ。
まだ大丈夫の気負いもむなしく、第1回は弟弟子の先崎(学八段)と中川(大輔八段)が昇段した。何かが弾けたのは第3回が終わったときだった。『もうダメだ』の思いが頭の中を埋め尽くしたのだ。諦めるつもりもやめる気もなかった。努力をしないわけではなかったが、ただ完全に怠るようになった。
師匠に呼び出されたのはそんなときである。それまでもアドバイスや叱咤(しった)激励は度々あった。説教もされたが、それは諭すような話し方だった。ところがこの日は入門以来初めてという激しい口調で、まさに叱責である。
「最近は明らかにだらけてるようだな。目がな、死んでいるんだ。将棋盤を見る目がその辺りの風景を見る目と同じになってる。将棋指しの目ではない。姿勢もピッとまっすぐ将棋盤に向かってない。クニャッとしてるんだ。盤面をな、射ぬくような目でにらむ、そうでなきゃダメなんだよ!」
自分でもわかってはいたが、あまりにもズバリで声も出なかった。すぐに改心するほど素直ではなかったが、徐々に意欲は取り戻した。とにかく、最後まで必死で頑張ってみようと決心した。
しかし、成績は相変わらずである。30歳近くになると、こんなことを言われた。
「三段リーグの前の日は親父(おやじ)のお墓参りに行ってくれんか。お父さんと話して来い」
こちとらはもうテンパった状況である。とてもそんな気分ではなかったが、「はい」と答えた以上、ウソをつくわけにはいかない。まあ軽い散歩と気分転換にはなる。対局前日の墓参りはその期の何回かでやめてしまったが、その効用は意外なほど大きかった。脂汗を流していた父を思い出すことで邪心が取れ、肩の力が抜ける。将棋が楽しくてしかたなかった子供のころを思うと、素直な気持ちになり、澄んだ心で将棋盤に向かえる。何より、心底から自分を応援してくれる人がいるんだということが、とてつもなく大きな力になるとしみじみわかった。
それからは墓参りには行かなくとも、対局前日あるいは対局中に心の中で、父やお世話になった方に自然に話しかけるようになった。
四段昇段は30歳と8か月だから、本当にギリギリである。次の期もダメだったら退会という状況でやっと上がれたのだ。その前の期が5勝13敗だったから“奇跡の昇段”と言われたのもむべなるかな。やはりこれは師匠のおかげだったのだろう。
■『NHK将棋講座』2013年12月号より