教養

アートに大切なのは「認められたい気持ち」を消し去ること


2013.09.13

柿沼康二さん。撮影:野瀬勝一

「ひと、アーティスト、書家」自身をそう語る柿沼康二(かきぬま・こうじ)さん。「型」を大切にする一方で、「型」破りな作品を数多く生み出しています。

 

8月から9月にかけて放送されている『NHK 趣味Do楽 柿沼康二 オレ流 書の冒険』で講師を務める柿沼さんに、創作への考えと取り組み方ついて語っていただきました。

 

*    *    *

 

――柿沼さんにとってアートとはどのようなものなのでしょうか。

 

例えば、朝起きたときに「空」という言葉を書きたいと感じたらその気持ちに従って書くべきだと思います。「ロックンロール」でもいい。そのようにして書いた作品が、結果として他人の目に触れたときに、涙を流してもらえたり、もしかしたら不快感を与えたりすることもあるかもしれませんが、それも偽りのないアートだと思います。でも大抵の場合、創作しようとする自我がまず存在します。そこがやっかいなんです。

 

「オレの書なんか誰にも理解されなくてもいい!」という気持ちでやっているわけではないんですよね、自分も。心を込めて書いたものならば、ほめられたいし、愛されもしたい。認められたいわけです。そうなると、先ほど言った純粋なアートとは矛盾してきます。

 

――どのようにして矛盾を解消するのでしょうか。

 

認められたいという気持ちを消し去ることが重要です。そのためにはただひたすら書き込むしかありません。一心不乱に書いて書いて書いて……、自分を忘れるくらいに書く。「ぶっ飛ぶ」という言葉がふさわしいかもしれません。打ち込んで自分を忘れる。仮に『命』『命』、『命』と書いているうちに、『命』と書いている感覚もなくなっていくようになります。書きながら、最初のうちは「感情を表に出しすぎた」とか、「もう少し出してもいいか」とか、行ったり来たりを繰り返します。何百枚も書いているうちに、認められたいという自我は消えている。そして自分でも驚くほどに良いものが生まれるんです。「本当に自分で書いたのか?」と。

 

それを一晩かけて行ったとすると、一日おきに、3回繰り返します。それを「三倍定義」と名付けています。作品にもよりますが、書いたものが千枚、2千枚となっていき、そのなかで1点を選んだときに初めて、今の自分ではそれ以上できないと言えるんです。ここまでやれば、師匠たちや親父にも顔向けできるだろう、そしてもし書の神様がいるならば、申し訳が立つんじゃないかと思えるようになります。

 

■『NHK趣味Do楽 柿沼康二 オレ流 書の冒険』より

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