教養

ル・ボンの『群衆心理』は現代日本の状況にもあてはまる


2021.09.27

2021年9月のNHK「100分de名著」では、ギュスターヴ・ル・ボンの『群衆心理』を、ライターの武田砂鉄(たけだ・さてつ)さんが読み解きます。同書は1895年に刊行されましたが、武田さんは「今でも通用してしまう一冊」だと評します。

 

*  *  *

 

ギュスターヴ・ル・ボンの『群衆心理』は、同時代を生きたタルド、デュルケームという二人の先駆に続き、独自の視点で近代社会と人間の心理を読み解いた、社会心理学の嚆矢(こうし)とされる名著です。

 

本書が書かれた当時のフランスは、市民の蜂起と産業革命によって、社会が大きく変化していました。一般市民という「群衆」が急速に存在感を増しており、王侯貴族ではなく、群衆が歴史を動かすようになったとル・ボンは指摘します。そんな時代に、群衆とは何か、それはいかに形成され、どのような特質・心理・行動様式をもっているのかを解明したのが『群衆心理』です。この本では、群衆を統制・操縦しようとする指導者の手口も明快に分析されています。

 

社会心理学やフランス史の専門家でない私が、なぜ本書を取り上げるのか。それは、日本社会の「空気」に対して私自身が感じてきた違和感や、ライターとして書き続けてきた問題提起が、『群衆心理』に指摘されていることと驚くほど合致していたからです。

 

出版社で時事問題やノンフィクション作品の書籍編集をしていた私が、会社を辞め、ライターとして独立したのが2014年、初めての自作を上梓(じょうし)したのが2015年春のことでした。ちょうど安保法案をめぐって国民的な議論が巻き起こっていた頃で、国会では毎週のように問題発言や失言が繰り返され、そのたびにそれを訂正するような(していないような)、撤回するような(しないような)答弁がなされ、曖昧(あいまい)に処理されていました。この感じは、ご存じの通り、今に続いています。

 

国会の前では、かつての安保闘争以来の大規模な反対運動が起きていました。その運動が若い人たちから起きたという事実に、私自身は大きな意味を見出していたのですが、そうした動きを冷笑し、牽制(けんせい)する動きもありました。その一年前、特定秘密保護法案が強行可決された際も、政府与党の重鎮が自身のブログで、市民による反対運動は「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」と言い放ちました。のちに修正したとはいえ、自分たちにとって不都合な動きを黙らせようとしていたことは揺らぎません。

 

そうした政治状況のなかで、何気なく手にとったのが『群衆心理』という本でした。一世紀以上前のフランスで書かれた本ですが、現代日本の状況にそのまま当てはまる、と感じました。どんな時であっても、権力者が世論をある一定の方向に向かわせようとする際、あるいは世論のうねりが起きないように抑え込もうとする際、その手口は似たようなものになるのでしょう。

 

2021年1月に起きたアメリカ連邦議会議事堂襲撃事件も、『群衆心理』を思い起こさずにはいられない事件でした。ル・ボンは、群衆は暗示を受けやすく、物事を軽々しく信じる性質をもつと述べています。あるいは、群衆は「暗示された意見や思想や信仰」を「絶対的な真理」か「絶対的な誤謬(ごびゅう)」とみなす、とも。あの日議会に突入した群衆は荒唐無稽(こうとうむけい)な陰謀論を信じ込んでいたわけで、まさにそうした性格を具えていたといえます。

 

ル・ボンは、群衆は未熟な心理しかもたず、非合理な行動をとる存在であると述べています。重要なのは、国籍、性別、人種、生活様式、職業、性格、知力に関係なく、誰でも群衆になり変わってしまう危険性があると警告している点でしょう。個人個人は善良な性格の持ち主であっても、群衆の一員になると、粗暴で偏狭になってしまう。そうした事態は、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が発展するにつれ、ますます可視化されているように思います。

 

『群衆心理』は、今でも通用してしまう一冊です。それは名著と呼ばれる本の条件の一つです。現代日本の事象や問題に引き寄せながら、ル・ボンの議論をみなさんと一緒に読み解いていきたいと思います。

 

■『NHK100分de名著 ル・ボン 群衆心理』より

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