教養

本が燃やされるディストピアはいかに誕生したか 『華氏451度』執筆の時代背景


2021.07.15

アメリカのSF/ファンタジー作家レイ・ブラッドベリ。その代表作である『華氏451度』で描かれるのは、本を読むこと、本を所有することを禁じられた近未来社会です。しかし、ブラッドベリはこのディストピア小説をつうじて「いまと変わらない未来」を描こうとしたと名古屋大学大学院情報学研究科教授の戸田山和久(とだやま・かずひさ)さんは指摘します。それは一体どういうことなのか。戸田山さんがこの作品が執筆された時代背景を解説します。

 

*  *  *

 

 

作品執筆の時代背景

 

この小説で描かれる「近未来社会」は、小説が執筆された1950年代のパロディだといえます。では、1950年代とはどのような時代だったのでしょうか。

 

四つの特徴を挙げることができるでしょう。一つは、ファシズムの記憶がまだ生々しい時代だということ。1930年代、ナチスはマルクス、フロイト、ブレヒトなど「非ドイツ的」とみなした著者たちの作品を焼く「焚書」を組織的に行っていました。絵画などの芸術作品も破壊しました。第二次世界大戦直後のアメリカには、ナチスと日本のファシズムを駆逐した世界のリーダーという自信に満ちた自己像がありました。それが、国内の政治的・社会的状況により徐々に損なわれていったのが50年代です。

 

第二は、冷戦と核兵器。アメリカ合衆国は世界で初めて核兵器を開発・使用した国ですが、1949年、ソ連も原子爆弾の実験に成功し、アメリカが核兵器を独占していた時代が終わりました。そして始まったのが冷戦です。米ソは互いに核開発競争をエスカレートさせ、52年と53年に相次いで水爆実験に成功します。ちなみに、水爆実験で海底からよみがえった怪獣が東京を襲うという設定の映画「ゴジラ」が日本で製作・公開されたのが54年です。

 

重要なのが三つ目、レッドパージ(赤狩り)です。ファシズムを駆逐し、誇りと自信に満ちて戦後を迎えたアメリカですが、東欧の社会主義化や中華人民共和国の成立(49年)などにより、アメリカ市民のあいだにも共産主義が広まるのではないかという不安が高まります。50年2月、ウィスコンシン州から上院に選出された、たぐいまれなる扇動政治家のジョゼフ・マッカーシーが、政府上層部にも共産分子がいるとの演説を行い、共産主義脅威論が一気に加速。世界のリーダーとしての自信はどこへやら、アメリカは不安と恐怖、猜疑心(さいぎしん)と不合理が横行するパラノイア(偏執的)社会になっていきます。アメリカで赤狩りを指す「マッカーシズム」という言葉が初めて「ワシントン・ポスト」紙に登場したとされるのが50年3月。『華氏451度』はまさにこの時期に構想され、起筆されています。

 

社会がパラノイアックになる一方、大衆消費社会が本格化したのも50年代でした。これが第四の特徴です。共産主義と赤狩りに絶えずビクビクし、不安だからこそ社会のはぐれ者にならないよう体制に逆らわずに生きていく。これを体制順応主義(conformism)と言いますが、当時のアメリカでは市民の不安につけこんだ体制順応主義への誘導が巧妙に進められていました。そこで推奨されたのが消費です。消費がもたらす物質的豊かさ。その象徴がテレビでした。この時期、「アイ・ラブ・ルーシー」や「スーパーマン」「名犬ラッシー」など今日名作と呼ばれるドラマが次々に放送され、ひとびとはテレビに釘付けになっていました。

 

ブラッドベリは、こうした全体主義的な傾向と、新しい大衆メディアとして出てきたテレビを結び付けました。これが彼の着想のおもしろいところです。ブラッドベリは、テレビに代表される消費生活により、社会を覆い始めた全体主義的傾向が隠蔽(いんぺい)され、ひとびとが社会に批判的な眼差しを向けることが困難になっていると気づきました。そしてそれに心底恐怖を感じたのでしょう。彼はこうしたアメリカ社会の変質を、もうちょっとだけ先まで描いてみせました。それにより、作家のキングズレー・エイミスが『華氏451度』の世界を評して言った「体制順応主義者の地獄(conformist hell)」にわれわれはすでに暮らしているのかもしれないぞ、と警告しようとしたのです。そういう意味では、この作品を近「未来」小説と呼ぶのはふさわしくないかもしれません。こんな暗い未来が待ち受けているかもよ、ではなく、現実に始まっているプロセスを描き出し、それに読者の目を向けさせることによって、すでに進行しているプロセスに歯止めをかけようとした本が『華氏451度』なのです。いうなれば寓話を通じて読者を啓蒙しようとした試み。そう呼ぶのが正しいでしょう。

 

■『NHK100分de名著 レイ・ブラッドベリ 華氏451度』より

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