教養

渋沢栄一の大きな志と小さな志


2021.04.30

渋沢栄一は現在の埼玉県深谷市の豪農に生まれ、幼少期から漢籍の手習いを受けるなど、跡取りとして大切に育てられました。16歳のときに村の代官所で一方的に借金を押し付けられ、侮辱までされた経験から、渋沢は「武士」となり、為政者の側に立つことを志しました。作家で中国古典研究家の守屋 淳(もりや・あつし)さんが渋沢の志の変遷について解説します。

 

*  *  *

 

「武士になる」という志を立てた渋沢ですが、志には、大きな志と小さな志の二種類があると彼は考えていました。

 

志を立てることは、人生という建築の骨組みであり、小さな志はその飾りなのだ。だから最初にそれらの組み合わせをしっかり考えてかからないと、後日、せっかくの建築が途中で壊れるようなことにもなりかねない。志を立てることは、このように人生にとって大切な出発点であるから、誰しも簡単に見過ごすことはできないのである。

 

この志に対する考え方が、一見右往左往しているように見える渋沢の前半生を読み解く、重要な鍵になります。

 

渋沢が16歳で立てた大きな志は「武士、つまり為政者になって良い国をつくりたい」というものでした。しかし、もう少し時代が下ると、彼は、自分は政治には向いていないと考えるようになります。当初の志から「為政者になって」の部分を削ると、残るのは「良い国をつくりたい」。つまり、繁栄した国、人々が幸せに暮らせる国をつくりたい、欧米列強に植民地にされないような国にしたい、という志にたどりつき、彼はその志を生涯持ち続けます。

 

大きな志を実現するためには、その道のりの途中で、小さな志が必要になります。渋沢にとって小さな志は、大きな志に比べて、捨ててもよいもの、変えても構わないものでした。実際、彼はこの後、小さな志をコロコロ変えていきます。尊王攘夷活動をしていたのに一橋家に仕えたり、大蔵官僚をしていたのに実業界に転身したりしたのも、彼にとっては、単に小さな志を変えただけのこと。「良い国をつくる」という大きな志が揺らぐことは、決してありませんでした。

 

渋沢が武士を志した時期は、ちょうど日本が大きな転換期を迎えた時期と重なります。1853年にはペリー艦隊が来航し、日本中で尊王攘夷の嵐が吹き荒れ始めました。私塾で水戸学の影響を受け、さらに既存の身分制度や封建制度に失望していた渋沢は、尊王攘夷運動にのめり込みます。その結果、渋沢は仲間とある過激な計画を立てました。高崎城襲撃と、横浜焼き討ちです。

 

まず高崎城を襲撃し、武器を強奪。その武器を持って外国人が住む横浜に火を放ち、倒幕ののろしを上げる──。この企ては、結局実行されることはありませんでしたが、その準備の最中、渋沢は父親に対して、自らの志をこのように宣言しています。

 

武士の政治がここまで衰え、腐敗が進んでしまった以上は、もはやこの日本はどうなるかわかりません。もし日本の国がこのまま沈むような場合でも、『自分は農民だから少しも関係ない』といって傍観していられるのでしょうか。何事も知らなければそれまでのことかもしれません。しかしいったん知った以上は、国民の役割としてけっして安閑(あんかん)としていられるものではないと思われます。もはやこの時勢になった以上は、百姓、町人、または武家の差別などないし、血洗島村の渋沢家一軒の行く末を気にしても意味がありません。私個人の決断については、なおさらのことのように思います。

「雨夜譚 巻之一」

『現代語訳 渋沢栄一自伝』守屋 淳編訳、平凡社新書

 

この言葉からは、当初の「武士になりたい」という漠然とした志が、「沈みかけの日本を強く繁栄した国にすることに、一身を捧げたい」という、よりはっきりした輪郭を持つ志に変わっていたことが読み取れます。渋沢が、本当の意味で志の実現に踏み出したのは、この時でした。

 

■『NHK100分de名著 渋沢栄一 論語と算盤』より

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