教養

柳田国男の死者論


2021.03.04

柳田国男は終戦の翌年に刊行した『先祖の話』の中で、死者の実在を明示しようと試みました。批評家、東京工業大学教授の若松英輔(わかまつ・えいすけ)さんが柳田の思いを解説します。

 

*  *  *

 

災害は、容赦なく人命を奪っていきます。それは、とりもなおさず多くの遺族を生むことを意味します。東日本大震災では、震災が強いた生活の困難もさることながら、大事な人を喪ったという事実が、被災した方々の苦しみをより深くしました。

 

すぐ傍にいるように感じているのに、その姿を見ることも、声を聞くことも、手を伸ばしてふれることもできない。大事な人が亡くなるということは、遺された者たちの世界を一変させます。

 

予期せず放り込まれた、昨日までとはまったく異なる世界。癒えようのない苦しみをどう受けとめ、この先どう生きていけばよいのか。こうした声に応えるかのように、あの震災後、多くの識者が筆を執(と)りました。しかし、そこで語られたことの多くは、大事な人の「不在」という現実とどう折り合いをつけるかであり、遺族が感じている不可視な「存在」について語り得た思想家は、少数の例外を除いていなかったように思います。「死」について論じてはいても、「死者」への論及はほとんど見られなかったからです。

 

その後の「復興」という名のもとに立てられた計画の数々も、遺された「生者」の安全や、経済・利便に焦点が絞られ、遺族が感じている「不可視な隣人」の存在は置き去りになってしまいました。そのことが、被災者の苦しみと惑いを大きくしているのではないか。そう思っていたときに私が出会ったのが、柳田国男の『先祖の話』という本でした。

 

この本は、亡くなった人と一緒に明日を作ることができると私に教えてくれました。それは、日本に古くからある伝統的な世界観だと柳田はいいます。近代化の過程で私たちが手放してしまったその世界観には、とても豊かな「死者とのつながり」が育まれていました。

 

1875(明治8)年、柳田国男は兵庫県に生まれ、東京帝国大学に学んだのち、官僚として農業行政に携わります。仕事で地方を訪れるうちに彼の関心を惹(ひ)いたのが、各地に残る伝承や風習でした。柳田は独自の取材調査を地道に重ね、やがて日本に民俗学の礎を築いていきます。東北地方の伝承を記録した『遠野物語』は、その起点となった名著です。

 

『先祖の話』が書かれたのは1945(昭和20)年、東京が大空襲に見舞われ、その後も四度にわたって爆撃を受けているさなかのことです。すでに七十代を迎えた彼は、何かに突き動かされるように、この論稿を猛烈な勢いで書き上げました。

 

題名は穏やかですが、『先祖の話』の本質は死者論です。自身も生命の危険にさらされるなか、戦争で死にゆく人びと─ことに若い人たち─と遺族の悲しみを感じながら、柳田は日本の歴史に息づく死者の伝統に分け入り、死者の実在を明示しようとしたのです。その思いを、序文にこう綴っています。

 

この度の超非常時局によって、国民の生活は底の底から引っかきまわされた。日頃は見聞することも出来ぬような、悲壮な痛烈な人間現象が、全国の最も静かな区域にも簇出(そうしゅつ)している。その片端だけがわずかに新聞などで世の中へ伝えられ、私たちはまたそれを尋ね捜しに地方をあるいてみることも出来なかった。かつては常人が口にすることをさえ畏(おそ)れていた死後の世界、霊魂はあるか無いかの疑問、さては生者のこれに対する心の奥の感じと考え方等々、大よそ国民の意思と愛情とを、縦に百代にわたって繋ぎ合わせていた糸筋のようなものが、突如としてすべて人生の表層に顕(あらわ)れ来ったのを、じっと見守っていた人もこの読者の間には多いのである。

 

ここで柳田のいう「超非常時局」とは、第二次世界大戦の戦禍(せんか)のことです。コロナ禍というように「禍」は「わざわい(災い)」を意味します。それはかたちを変えた災害なのです。このときの状況は、現象的には東日本大震災のような天災とは異なりますが、その本質においては深くつながるものがあります。大震災のとき人びとの心を占めていたのは、やはり「口にすることをさえ畏れていた死後の世界、霊魂はあるか無いかの疑問、さては生者のこれに対する心の奥の感じと考え方」ではなかったでしょうか。『先祖の話』は、これらの問題を真正面から語り得た無二の書だと私は思います。

 

※続きはテキストでお楽しみください。

 

■『NHK100分de名著 100分de災害を考える』より

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