教養

災害は「おもい」を大きく変える


2021.03.22

『14歳からの哲学─考えるための教科書』は、哲学をやさしく説いた池田晶子の著作のなかで、もっともよく読まれたものの一つです。「自分/自己」とのつながりについて書かれた本作を、批評家、東京工業大学教授の若松英輔(わかまつ・えいすけ)さんは「100分de災害を考える」4冊のうちの1冊に選びました。

 

*  *  *

 

この本の最初で、池田が注目するのは「おもう」という営みのちからです。それは思考力ではありません。それは思考のさらに奥にあるものです。「どうだろう、生きているということは素晴らしいと思っているだろうか。それとも、つまらないと思っているだろうか」と問いかけたあと、彼女は次のように言葉を続けています。

 

生きていることが素晴らしかったりつまらなかったりするのは、自分がそれを素晴らしいと思ったり、つまらないと思ったりしているからなんだ。だって、自分がそう思うのでなければ、いったい他の誰が、自分の代わりにそう思うことができるのだろうか。

 

客観的な世界が存在しますが、私たちはそれを生きてはいません。そういうと奇妙な感じがするかもしれませんが、現実です。人は誰も、その人の「おもい」がとらえた世界を生きています。もちろん、「おもい」が変われば、世界のあり方は変わってきます。180度変わって見えるようなことすらあるのです。

 

災害は、「おもい」を大きく変える出来事です。阪神・淡路大震災も東日本大震災も、また、コロナ危機も私たちと世界のありようを根底から変える力を持っていました。どの場合でも、切実な経験をした人は、その出来事以前の自分には戻れないと感じるでしょう。それほどに変化の度合いは大きく、激しいものです。こうしたことは災害が原因でなくても起こります。大切な人を喪う、あるいは自らが深刻な病を背負うときにも、世界に対する「おもい」の根底的な変化が起こります。

 

先の一節で池田は「思う」と書いていましたが、「おもう」は、そのほかにもじつにさまざまな漢字を当てることができます。

 

ふと誰かのことを「想う」、記憶がよみがえってくるように「憶う」、心に秘めた人を「恋う」、大切な人の無事を「念う」、幼い頃のことを懐かしく「懐う」、人間を超えた存在を「惟う」。あるいは忖度(そんたく)の「忖」、遠慮の「慮」、回顧の「顧」もそれぞれ「おもう」と読みます。詳しく辞書を調べれば、さらなる「おもう」が見つかると思います。十の漢字を挙げられるということは、「おもう」には、少なくとも十の側面があるのです。

 

池田晶子は、「おもう」は「不思議な感じの出てくるところ」だと書いています。つまり「おもう」とは、自分のなかにある「不思議な感じ」を体感する行為なのです。さらに池田は、その体感から哲学は始まったのだと述べ、「おもう」ことから「考える」ことへと「君」を誘います。「考える」ことの意義をめぐって、「悩む」ことと対比させつつ語る一節を読んでみたいと思います。

 

もし本当にそれがわからないことなのだったら、君は、悩むのではなくて、考えるべきなんじゃないだろうか。あれこれ思い悩むのではなくて、しっかりと考えるべきなんじゃないだろうか。

 

 考えるというのは、それがどういうことなのかを考えるということであって、それをどうすればいいのかを悩むってことじゃない。

 

池田晶子が「悩む」というとき、それは自分のなかでぐるぐる回って自己完結させることです。これに対し、「考える」とは、自己に深く入っていくと同時に、限りなく他者に開かれていく営みです。似ているようにみえて、まったく異なるものなのです。

 

言葉には、辞書に載っているような記号的な意味だけでなく、その人の生涯に裏打ちされた独創的な意味があります。優れた哲学者たちはみな、記号的な意味を突破したところに新しい意味の場を作ろうと試みます。池田晶子の場合、「考える」はそうした言葉のうち、最重要のものの一つです。

 

「自己」の深化と、「他者」とのつながり。この二つが同時に始まるのが、哲学の最初の一歩です。そして、本当の意味で「考える」ことを深めていった先には「自由」があります。池田晶子がいう「考える」という行為は「自由」を掘り当てる営為でもある。

 

今、「掘り当てる」と書きましたが、池田にとって哲学とは、無いものを作り上げることではなく、すでにあって見過ごされているものを再発見することにほかなりません。それを再び見出し、それを生きること、それが哲学の目的です。彼女は「自由に考える」ことをめぐって、こう記しています。

 

正しい定規はどこだろうってあれこれ探して回っているうちは、それは見つからない。考えることこそが、全世界を計る正しい定規になるのだとわかった時に、君は自由に考え始めることになるんだ。こんな自由って、他にあるだろうか。

 

真の意味で自由であるために私たちが、まず、行わなくてはならないことは、自分を計る「定規(じょうぎ)」を手放すことだというのです。計測できるのは、量的なものです。自由はいつも質的です。それを計ることはできません。しかし、現代に生きる私たちは、知らないうちに自分を「世の中」という定規に合わせがちなのではないかと池田は問うのです。

 

ここで問題になっている「自由」は、英語におけるフリー(free)やリバティ(liberty)とは異なるものです。それは誰かに与えられるものでも、勝ち取るものでもありません。彼女のいう「自由」とは、文字どおり「自ら」に「由(よ)る」ことです。自分と深くつながることなのです。

 

『新約聖書』には自由をめぐるこんな言葉があります。

 

あなた方は真理を知り、真理はあなた方を自由にする。

(「ヨハネによる福音書」第8章第32節、フランシスコ会聖書研究所訳注)

 

これは池田晶子がいう「自由」と強く共振するものです。彼女がキリスト教的であると指摘したいのではありません。しかし、彼女がいう哲学は─彼女が敬愛していたプラトンにとってそうだったように─人間の救済とかかわることであるとはいえると思います。

 

※続きはテキストでお楽しみください。

 

■『NHK100分de名著 100分de災害を考える』より

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