教養

眼は歴史の産物である


2021.01.08

調査で使われた「老婆の節くれだった手」の写真

ブルデューの主著『ディスタンクシオン』のもとになっているのは、国や民間機関がおこなったさまざまな調査のデータや、ブルデューの研究グループが独自におこなった調査結果です。その興味深い調査内容を、社会学者で立命館大学大学院教授の岸 政彦(きし・まさひこ)さんが紹介します。

 

*  *  *

 

ブルデューらのグループは、1963年、インタビューなどの予備調査をおこなった上で、パリ、リール、地方の小都市に住む計692人に対してアンケート調査をおこないました。質問項目は、最終学歴や職業、年収などの詳細なプロフィールのほか、家具をどこで買うか、客を自宅に招くときにどんな料理を出すか、次のリストのうち知っている音楽作品はどれか、またその作曲者は誰か、など約三十項目にわたります。1967~68年には補助調査をおこない、調査対象者は合計で1217人におよびます。これに国や民間機関による大規模調査の二次データが加わります。ブルデューはこれらの多種多様なデータを分析し、必要があれば再調査をおこなって精度を高めていきました。その労力と調査規模はかなりのものです。

 

さて、ブルデューらの調査・分析の結果、人びとの趣味について非常に興味深いことが次々と明らかになりました。たとえば、ブルデューはアンケートで次のような質問をしています。

 

「次のテーマで写真を撮った場合、それはどのような写真になると思いますか?」

 

ここで挙げられているテーマは、風景、自動車事故、猫と遊ぶ少女、妊婦、工事現場の鉄骨、キャベツ、海の夕陽、民俗舞踊、肉屋の肉切り台、木の皮、最初の聖体拝領など二十一です。回答者は、それぞれを、美しい/面白い/つまらない/見苦しい、の四段階で評価します。

 

その結果は、回答者の学歴と見事に相関しました。たとえば、初等教育のみ修了あるいは未修了の人たちは、「最初の聖体拝領」や「民俗舞踊」など、いかにも見栄えのしそうなテーマを写したものが美しい写真になりうる、という答えを選ぶ人が最も多くなりました。ところが、ブルデューが卒業したエコル・ノルマルを含むグランゼコール出身者は、「最初の聖体拝領」ではつまらない写真になるという答えを選ぶ人が最も多くなっています。では、彼らはどんなテーマが美しい写真になりうると思っているか。「木の皮」です。ちょっと笑ってしまうような結果ですが、ただの、そのへんに生えている木の、ごつごつした表面を写した写真が美しい作品になると考えるのは、いかにもインテリっぽい感覚です。

 

またブルデューは、老婆の節くれだった手の写真を見せて、人びとがどんな反応を示すかを調査しました。『ディスタンクシオン』には、人びとが実際に言った言葉が紹介されています。最も貧しい階層に属するパリの労働者は「このおばあさんは、きっと働きづめだったにちがいない。(中略)ああ、これはどう見ても男爵夫人やタイピストの手じゃないね」など、倫理的な共感を示しています。一方、学歴の高いパリの上級技術者は「これはとても美しい写真だと思います。まさしく労働の象徴だ。私はフロベールの年とった召使女を思いだしますね」と言っている。反応がまったく違うわけです。

 

こうした結果を踏まえてブルデューは言っています。

 

「眼」とは歴史の産物であり、それは教育によって再生産される。

 

つまり、純粋無垢な眼など存在しないというわけです。私たちの眼、つまり見たものに好感を持ったり嫌ったりする姿勢(性向)は、私たちそれぞれが享受してきた社会環境、つまり歴史によってつくられるとブルデューは主張します。

 

この議論において、ブルデューは本質主義と還元主義を退けています。本質主義とは、「それがいいからいいのだ」という考え方です。「私がバッハを好きなのはバッハの音楽がいいからだ」という本質分析をブルデューは退けます。と同時に、たとえば「年収が一千万円を超えるとバッハが好きになる」というような、社会階級と個々の文化実践を直接的に因果的に結び付けてしまう単純な還元主義にもブルデューは与(くみ)しません。

 

ただ、ブルデューはやはり、私たちの行為や感覚、判断や評価、好き嫌いというものまでも、社会構造や歴史によって規定され、構築されているのだ、ということを主張します。それはいったい、どういうことでしょうか。「いいものだからいいのだ」ではなく、なぜ「眼は歴史の産物」だと言えるのでしょうか。

 

ブルデューは、私たちの行為だけでなく、態度や能力、主観的な判断や評価、無意識の感覚や身体所作までも、社会や歴史によって規定され、構築されたものとして捉えます。それが彼にとっての「人間」の本質なのです。この人間の本質を描くためにブルデューが導入したのが、「ハビトゥス」「界」「文化資本」という独自の概念です。

 

■『NHK100分de名著 ブルデュー ディスタンクシオン』より

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