教養

「ハビトゥス」は普遍的に応用可能な規則


2021.01.12

ブルデューが人間の本質を描くために導入した概念の一つが「ハビトゥス」です。ハビトゥスとは何か。社会学者で立命館大学大学院教授の岸 政彦(きし・まさひこ)さんが、わかりやすい例を挙げて説明してくれました。

 

*  *  *

 

ハビトゥスは、社会学では非常に有名な概念です。よく引用されるのが、『ディスタンクシオン』のあとに出版された『実践感覚』(1980年、邦訳は1988年)という本にある次の定義です。

 

ハビトゥスとは、持続性をもち移調が可能な心的諸傾向のシステムであり、構造化する構造(structures structurantes)として、つまり実践と表象の産出・組織の原理として機能する素性をもった構造化された構造(structures structurées)である。

(今村仁司・港道隆訳『実践感覚1』みすず書房)

 

言っていることはそう難しくありません。要するに、ハビトゥスとは私たちの評価や行動のさまざまな傾向性のことであり、同時にそれらを生み出す原理のことです。また、それは一回性のものではなく持続性があり、異なる分野においても同じ傾向を示す(移調可能)と言っているのです。なお、この部分の訳者はこの定義のなかで「心的」という言葉を使っていますが、ハビトゥスは心理学的な概念ではありません。それはむしろ身体的なもので、社会的な行為のレベルで出現するものです。

 

『ディスタンクシオン』においては、ハビトゥスは非常に深いレベルで私たちの嗜好や行動を方向づける「身体化された必然」であると書かれています。つまり私たちは、意図することなく自然に、無意識に、反射的に、ある選択や評価をしているというわけです。

 

ブルデューはこうも言います。「(ハビトゥスとは)現に所有されている諸特性の習得条件に固有の必然性を、直接に獲得されてきたものの範囲を越えて、体系的かつ普遍的に適用することができるようにするものである」。すこしわかりづらいので具体例で考えてみましょう。

 

お金持ちの家に生まれた子どもがピアノを習わされたとします。このとき、この子は何を体得しているのでしょうか。もちろん、ピアノを弾く技術だけではありません。

 

その子どもは、世の中には芸術と呼ばれるものがあり、そのひとつに音楽があることを学びます。そして音楽にもクラシックやジャズやロックや演歌などのさまざまなジャンルがあり、それぞれに「社会的意味」が異なることを学ぶでしょう。それらのジャンルがそれぞれどのような場で生産・消費され、どのような人々によって受容されているかを学びます。さらに、それぞれの社会的な価値付け、つまり権威の高さや低さ、堅苦しさ、高級感、安っぽさ、荒々しさ、洗練度などの違いについての感覚を身につけます。

 

さらにここが非常に重要なところなのですが、その子は「何かを努力して身につける」という過程を体験します。目の前の楽しみを先送りにしてでも、いま努力することで技能を習得する。そういう態度を学ぶわけです。この態度、あるいは傾向性は、おそらく将来、学校教育をはじめとするさまざまな場でも有用であるに違いありません。

 

つまり子どもがピアノのレッスンを通じて獲得するのは、これから生涯にわたって他の場面や状況でも役に立つような教養や態度なのです。先の引用で「体系的かつ普遍的に適用することができる」とあるのは、まさにこの点です。

 

オーストリア出身の哲学者ウィトゲンシュタインは、人間は有限の規則から無限の行為を引き出すのだと述べています。言語には文法という規則がありますが、私たちはその規則の範囲内で、新たな言葉や言語表現を日々生み出しています。私の好きなジャズにも同じような面があります。ジャズの即興(インプロビゼーション)は、有限のスケールやコードから、無限の音の組みあわせやパターンが出てくるところにその美しさがあります。

 

よく考えれば、規則が有限なのに実践が無限というのは、哲学的に非常におもしろい問題です。しかし、ここではとりあえず「そういうものだ」と考えるとして、ハビトゥスというものもまた、そのように捉えるとわかりやすいかもしれません。つまり、それまでの人生における有限の体験の中で構築され、その後の人生のさまざまな状況のなかで応用が可能な規則性・傾向性の束がハビトゥスなのです。ある人物が直接経験できることは限られるので、ハビトゥスは履歴的には有限です。しかしながら、場面ごとの固有性を超えた、「世界」に対する基底的な関係の仕方のようなものまでが身につくため、まったく新しい状況に直面した際にも、身についたハビトゥスを応用して対処できるわけです。

 

■『NHK100分de名著 ブルデュー ディスタンクシオン』より

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