教養

エロス的親愛で結ばれた男たち──平安時代の男の友情


2020.11.29

『伊勢物語』に描かれた、平安貴族社会の男たちについて見ていきましょう。『伊勢物語』というと、男女の恋の話というイメージが強いかもしれませんが、男同士の友情や人生の悲哀、また政治世界での力関係も印象深く描かれています。在原業平がとりわけ深く心を通じ合わせた三人の男の一人、紀有常に関する章段を、作家の高樹のぶ子さん(※)が読み解きます。

 

※高樹さんの「高」の字は、正しくは「はしごだか」です。

 

*  *  *

 

業平と彼ら(紀有常、源融、惟喬親王)との関係性にはある共通点があります。それは、エロス的親愛です。エロス的親愛とは、性愛ではなく、身体的な感覚で相手とつながりを持つことです。業平は感性の触手をたくさん持っていますが、言い換えればそれは、身体の感覚が多方面に敏感に開いているということです。ですから業平は、自分に向けられたちょっとした言動で「この人はだめだ」と判断したらすぐに逃げ出しますが、解ってもらえると思ったらスッと寄り添っていく。そうした直感的な身体感覚でつながり合う者同士にあるのが、エロス的親愛です。

 

では実際の章段を読んでいきましょう。まずは紀有常です。

 

有常は業平の年上の友人で、妻の父親にあたる人です。紀氏はもともと書や学問に優れた血筋ですが、当時は藤原氏の権勢に圧されて斜陽気味、到達した最高の位階も従四位下(じゅしいげ)とあまり高くはありませんでした。藤原氏を快く思っていないという点は、業平とも共通する立場です。

 

紀有常は、一言で言うと誠実で凡庸な男です。その人となりは、第十六段に「心うつくしく、あてはかなることを好みて、こと人にも似ず。貧しく経(へ)ても、なほ、むかしよかりし時の心ながら、世の常のことも知らず」(心が素直で、高雅な趣味の持主であり、その点ほかの人とは違っていた。貧しい暮らしをしていても、依然として昔暮らしぶりのよかった時の心のままで、世間並みの才覚もなかった)と描かれています。

 

年を経て長年連れ添った妻とは寝床を分けるようになり、ついに彼女は尼となって出ていくことになりました。しかし経済的に余裕がない有常は、衣一つ持たせてやることができません。そこで「ねむごろにあひ語らひける友だち」である業平に相談すると、業平はかわいそうに思い、衣や夜具を贈りました。要するに有常は、自分の婿(むこ)に「何かしてやってもらえないか」と泣き言を言ったのですが、業平は婿である以前に「友だち」だったので、業平の方も「いとあはれ」に思ってすぐ品物を贈ったのです。業平自身、有常の娘である妻よりも舅(しゅうと)の方と心が通じ合っていたようです。

 

また別の場面では、二人はこんな歌のやりとりをしています。

 

むかし、紀(き)の有常(ありつね)がり行(い)きたるに、ありきて遅く来けるに、よみてやりける、

 

君により思ひならひぬ世の中の

   人はこれをや恋と言ふらむ

 

返し、

 

ならはねば世の人ごとになにをかも

 恋とは言ふと問ひしわれしも

(第三十八段)

 

業平が有常邸を訪ねていったところ、有常は外出中で戻らず、結局会えなかった。そこで業平は歌を贈りました。

 

《あなたを待ちました。待たされました。待たされる思いにも慣らされてしまいました。世の中ではこれを恋と言うのでありましょうか。恋の思いがようやくわかりました。》

 

すると有常からお返しの歌が届きます。

 

《あなたのように恋に慣れてはおりません。世の中の人がみな何を恋というのかと、以前あなたに問うたことがございます。そんなわたしがあなたに恋を教えたなんて、それは違うのではありませんか。》

 

ここで業平は、無骨な舅に対してあえて「恋」という言葉を使い、ほがらかな戯れで「あなたのことを大事に思っているのですよ」という思いを伝えています。それに対して有常は、ウイットを効かせた歌を返すことなどはできず、「何を言っているの? そんなことないですよ」という愚直な歌を返しています。やはり有常は、いい人ではあるけれど凡庸なのです。

 

しかし業平と有常の付き合いは長く続きました。おそらくそれは、血筋としての同胞意識があったからだと思います。紀氏は名門の家でしたが、一族から国母が出ることはありませんでした。紀有常の妹(静子〈しずこ〉)は文徳天皇に嫁ぎ、惟喬親王らを産みますが、文徳天皇のあとに即位したのは藤原良房の娘・明子(あきらけいこ)が産んだ清和天皇でした。その次の天皇(陽成天皇)の母は高子ですから、紀氏にはもう、藤原氏に対抗する力はなくなっていたのです。

 

業平も天皇につながる血筋ながら臣籍降下した身です。業平と有常は、権力争いの場では負けた者同士なのです。ですから業平には、外から見たらどうにも凡庸で、出ていく妻に何もしてやれないくらい、社会的立場としてはどんどん斜陽になる有常に対してもシンパシーがあった。さきほどエロス的親愛という言葉を使いましたが、脱権力もエロスというものの一つのかたちだとすれば、二人のあいだにあったのはそういうものを介したつながりでしょう。確かな血筋でありながら権力から流離していく者同士の友情とも言えましょうか。

 

■『NHK100分de名著 伊勢物語』より

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