教養

「昆虫は悪魔がつくったもの」という迷信を覆した『ファーブル昆虫記』


2014.07.21

研究室で観察するファーブル

博物学者ジャン=アンリ・ファーブルが、55歳の時から約30年をかけて書き上げた『ファーブル昆虫記』に残した、もっとも大きな功績とは何であろうか。翻訳を手がけたフランス文学者・作家の奥本大三郎(おくもと・だいさぶろう)氏は、「人間の世界とはまったく異なる「昆虫の世界」という別世界を“発見”したことでしょう」と語る。

 

*  *  *

 

当時のヨーロッパにおいて、昆虫とはどのような存在として捉えられていたのかについて見ておきます。蜜蜂や蟻などのように集団を作って暮らし、かつ、その中に女王や働き手などの階層がある「社会性昆虫」の研究については、比較的さかんに行われていました。モーリス・メーテルリンクの『蜜蜂の生活』や『白蟻の生活』、ウィリアム・ホイーラーの『昆虫の社会生活』といった本がそれです。社会性昆虫は、社会体制としての王政や、宗教との関係でよく研究されていたのです。

 

一方で、それ以外の虫についてはどうかと言えば、「悪魔がつくったもの」という迷信を、当時のヨーロッパ人たちは抱いていました。それはこの時代の昆虫の描かれ方を見れば一目瞭然です。カイコなどは角を生やした悪魔の顔をしています。触角が角に見えたのです。昆虫は汚いもの、人間に災いをおよぼすもの、そういった感覚を一般の人は持っていたのです。

 

ところがファーブルは、昆虫を悪魔のつくったものとして遠ざけることはもちろん、人間社会のアナロジーとして知ることも警戒しました。ファーブルは、野にいる昆虫のありのままの姿を、思い込みを排してありのままに観察しようとしたのです。スカラベが糞球を作って転がし、梨球に卵を産み、そこで幼虫が育つ生活史の一部始終、または狩りバチが獲物を一撃で仕留める驚くべき方法、そしてシデムシやハエなど、死体を食べる虫が自然界で果たしている役割の大きさ、などなど。言ってしまえば、いつ答えにたどり着くとも知れないことへの挑戦であり、答えを突きとめたところで特許などを取れるわけでもない、お金にならない研究です。でも、そうやって研究を続けて、ついに答えにたどり着いた時の喜びがいかに大きいか──。それは、たとえばファーブルがスカラベの梨球を発見した時の感動から私たちにも伝わってくるでしょう。

 

昆虫の生活史をありのままに観察する。そうすることで、ファーブルはどんな生き物にも自然界の中で何らかの役割があり、生き物はそれぞれに価値を持っている、という生命観に到達しました。動物の排泄物を食べて生きるスカラベのような糞虫がいなければ、地球上は動物の糞だらけになってしまうでしょう。実際にオーストラリアなどでそういうことが起きています。オーストラリアに人間が牛や羊を持ち込みましたが、もともとその糞を食べる糞虫がいなかったのです。あるいは、一度に200ほどの卵を産むモンシロチョウの場合を考えてみれば(ファーブルはその生存率の低さもつぶさに観察しています)、その卵にはタマゴバチという蜂が寄生し、卵からかえった幼虫にはまた別の蜂が寄生し、そうやってどんどん蜂に食べられていって最終的に成虫になるのは3、4匹ほど……。でも、それで種族は維持できます。一見厳しいと思えるそのモンシロチョウの運命も、もし卵がすべてかえっていたら、地球上はモンシロチョウでいっぱいになってしまいます。大半の卵は無駄になっているようにも見えますが、それは蜂という別の生き物の命につながっていて、決して無駄ではないのです。

 

自然界は、一見無駄とも思える余裕によって成り立っている。すべての生き物には役割があり、価値がある──。ファーブルは生きた昆虫を観察し続けることによって、そのことを確認したのです。

 

■『NHK100分de名著』2014年7月号より

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