教養

新島八重を「ハンサム」と形容した夫・新島襄の愛


2013.03.04

結婚から間もないころの新島襄と八重。着物姿の八重は手には帽子、足には革靴を履いている
写真提供:同志社大学

2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』の主人公・新島八重(にいじま・やえ)を、夫である同志社の創始者・新島襄(じょう)は「ハンサム」と形容したという。2人の出会い、そして結婚生活はどのようなものだったのだろうか。

 

*  *  *

 

明治8年(1875)に、八重は襄との運命的な出会いをします。ある夏の暑い日、前年にアメリカから帰国した襄が、八重の兄である覚馬(かくま)を訪ねるために山本家を訪れると、中庭の井戸の上に板を渡し、その上で涼しげに縫い物をしている女性を見かけて驚きます。

 

この八重の大胆な行動が、襄の心を揺さぶり、八重との結婚を考えるようになったといいます。

 

2人は明治8年10月に婚約。同年の11月29日に「同志社英学校(現在の同志社大学)」が開校します。

 

翌年の1月2日に八重は洗礼を受け、3日に結婚式を挙げました。このとき襄32歳、八重30歳。仏教寺院が多く古い因習の残る京都で、明治維新後初の洗礼、初のキリスト教の結婚式でした。

 

明治10年(1877)には、八重が設立に深く関与した「同志社女学校(現在の同志社女子大学)」も正式に開校します。

 

襄はアメリカの養母ハーディー夫人宛ての手紙で八重のことを、「彼女は決して美人ではありません。しかし美しい行いをする人(ハンサムウーマン)であり、私にはそれで十分です」としたためています。妻として迎える女性には、夫と対等に行動できる自立心のある女性を求めていた襄にとって、八重は理想の人でした。

 

クリスチャンとなった八重は、洋装のモダンレディーとして、明治の時代の最先端を歩いたのです。

 

結婚14年後の明治23年(1890)、病弱であった襄は「グッドバイ、また会わん」と言い残し、八重の腕の中で亡くなりました。

 

■『NHK 趣味Do楽 KYOTOで極めるハンサムウーマンライフ』より

このエントリーをはてなブックマークに追加

  • bnr-texttop2021-300×56

  • テキストビュー300×56

  • bnr-eigo2021_300×56px

000000818602021_01_136

こどもサピエンス史

2021年07月12日発売

定価 1980円 (本体1800円)

000062133032021_01_136

NHK高校生からはじめる「現代英語」 記者が教える英語ニュースの読み方

2021年08月12日発売

定価 990円 (本体900円)

000064072742021_01_136

別冊NHK100分de名著 果てしなき 石ノ森章太郎

2021年07月26日発売

定価 1210円 (本体1100円)