山川次彦八段、弟子を支え続けた何十通もの手紙


2013.10.27

山川次彦八段(左)と関浩六段(右)。写真提供:日本将棋連盟

山川次彦(やまかわ・つぎひこ)八段は『将棋世界』の編集長を務め、観戦記、単行本の執筆など、文筆で活躍した。山川八段の引退後に弟子になった関浩(せき・ひろし)六段は、濃密な師弟の交流はなかったと言うが、師匠から数々の手紙をもらっていたという。関六段は40代で引退して、文筆に専念。くしくも師匠と同じ道を歩いている。奨励会時代に自らを支え続けてくれたという山川八段の手紙にまつわる思い出を、関六段が振り返る。

 

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筆者が入門したころ、師匠はすでに現役を退き、執筆活動に専念していた。これからプロ棋士になろうとしている少年の技術的指導は、現役の関根九段(一番弟子の関根茂九段)に任せるのが得策と判断されたように思われる。当時、関根九段はA級に在籍され、現在の飯野健二七段を筆頭に泉正樹八段ら、気鋭の弟子を大勢抱え、腕を磨くには格好の場であった。自然、筆者も関根一門と行動をともにすることが多くなり、そのため、いまだに将棋連盟内部でも、関根門下と勘違いされることがある。

 

棋士としての心構えや技術的薫陶(くんとう)は、そのほとんどを関根九段から受けることになったが、一方で師匠は黒子の役どころに徹し、縁の下から弟子の成長を支え続けた。執筆活動に専念していた師匠は、とても筆まめな人だった。筆者の奨励会時代の10年間で何十通もの手紙をいただいた。昇級すれば祝福の手紙が届き、壁にぶつかると叱咤激励の手紙が送られた。

 

師匠の手紙は例外なく「です・ます調」の形式を取り、弟子に宛てたものとは思えないほど丁寧にきっちり書かれていた。「拝啓」や「謹啓」の頭語で始まり、「敬具」や「敬白」の結語で終わる。ときには「草々不一」というのもあった。内容もさることながら、子供心に「これが大人の手紙の書き方か」と感心させられたものである。送られた手紙の何通かは、いまも押し入れのどこかに眠っているだろう。奨励会入りしてほどなくスランプに陥ったときは、「入会早々スランプなどは、もってのほかです」とたしなめられ、有段に達したときは、祝福とともに、「これからが胸突き八丁の険しさです」と、戒めの言葉がしたためられていた。

 

師匠の書き連ねる文字は、余人にはまねのできないものだった。恐らくは、相当な“癖字”といっていいのだろう。ただし、独特な癖のなかに、きちんとした師匠なりの規則性が貫かれており、個性あふれる様式美に達していた気がする。視覚的にも均整が取れ、決して読みにくいことはなかった。

 

人づてに聞いた話では、師匠自身、自分の癖字が気になっていたらしい。どんなに頼まれてもめったに揮毫(きごう)に応じることはなかったという。もしも、師匠の色紙を所有する読者がいれば、かなりの希少価値と思っていい。

 

■『NHK将棋講座』2013年10月号より

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