趣味

佐藤天彦七段、偉大な先輩の将棋に感じた「芸術」


2013.08.26

家でのんびりと、音楽を聴いている。幸せで、恵まれた日常の時間が流れていく。

 

対局がない。負けると少なくなる。当然の理屈である。確かに、厳しい戦いではあった。

 

モーツァルトが好きだ。もちろんベートーヴェンも。古典派作曲家の中でも傑出した彼らの音楽は、これからも、長い間聴き継がれていくことだろう。好みの差はあれ、彼らのすばらしさを誰も疑いはしない。

 

偉大な先輩たちとの戦いでかい間見たもの。極められた技術とセンスによって指し回され、感想戦で示された手順に感銘を受ける。常に結果を求められる世界で、芸術のようなものを感じた。長い将棋の歴史に大棋士として名を刻む人々の前では、自分はあまりにもはかなかった。

 

モーツァルトたちが生きていた時代、彼ら以外の作曲家の存在はどのようなものであっただろうか。今では一般に名前を知られていなくても、当時活動していた作曲家は大勢いた。

 

将棋の世界は、結果が全てといってもいい。勝たなければ評価はされないし、当然ながら、負け続ければ信用を失う。内容なんて歯牙にもかけられなくなり、同業者や愛好者からもかえりみられなくなる。

 

あまり名の知られていない彼らの音楽を、最近はよく聴いている。もちろん、掘り出しものばかりというわけではない。有名作曲家の陰に隠れてしまったのも、しかたがないことのように思える場合も少なくはない。結果、結果と言いつつ、自分の好みは捨てられない。プロでも好きな駒は人によって違うし、数ある戦法からどれを選ぶのかを決めるのも自分だ。

 

難解な局面に困ったと思いながら、純粋な面白さを同時に感じてしまったりもする。そうやって、一局の将棋の中に、その人それぞれの性格や感情、思いが投影されていく。

 

広く今に認められている大作曲家の作品ではなくても、良さを感じる音楽はある。それは誰が聴いても感動するような名曲ではないかもしれない。しかし、その個性が自分の好みにぴったり合ったものであれば、出会いの喜びは想像以上に大きなものになる。

 

思いの丈が深くても、実現する高い技術がなければ、それが日の目を見ることはない。将棋を通して何かを伝えるために、やはり強さは不可欠なのだ。二百年以上も前に世を去った人に、一方通行の親近感を抱く。まるで知らない土地で、気の合う仲間を見つけたかのように。あなたのことを探していたんだと、手を取りたくなる。

 

本当はそこまで求めなくていいのかもしれない。自分の好きなことを職業にして生き、身の回りの人々に恵まれ、自分も彼らも健康であり続けられれば。

 

本当はわかっている。今では“無名”の作曲家でも、実はすごい人だったのだということを。

 

偉大な棋士の強さも、そんな音楽家たちの個性や思いも、自分にはまだまだ遠いものなのだ。

 

それでも、すばらしい将棋や音楽に出会うと、憧れてしまう。少しでも、彼らに近づきたいと。

 

■『NHK将棋講座』2013年8月号より

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