趣味

山田規三生九段、「初めてのつまずき」を語る


2013.06.22

第19期天元戦挑戦者決定戦(1993年)写真提供:日本棋院

元王座・山田規三生(やまだ・きみお)。1950年に発足した日本棋院関西総本部に97年、初のタイトルをもたらした棋士である。当時25歳。

 

兄の至宝、和貴雄も棋士(共に七段)という環境で生まれ育ち、16歳での入段時から極めて順調な棋士生活を送ってきたように見える。

 

しかし、それはあくまではた目から見た感想であり、本人の中ではさまざまな葛藤や試練があったことは当然である。

 

そこで今回、山田九段に「初めてのつまずき」を語ってもらった。

 

*  *  *

 

確かに入段以来、割と順調な成績を収めることができていたと思います。「山田三兄弟の一番下」ということで注目され、期待されていることも理解していました。

 

例えば関西総本部の棋士同士で碁の検討をしているとき、僕が最年少に等しい存在であるにもかかわらず、ベテランの先生から意見を求められました。それで「認めてもらっている。期待されている」と思ったものです。

 

また関西総本部が主催するイベントなどで、いつもメインの対局を務めさせていただいたことからも、周囲の期待を感じました。ですから「この期待に応えられる棋士にならなければ」と、自分なりに必死になって勉強しました。若いころのこうした鍛錬が、今の僕にとって最大の財産となっていることは間違いありません。

 

93年には若手限定の新鋭トーナメント戦で優勝することができたのですが、一般棋戦ではタイトルはおろか、挑戦権にも手が届いていませんでした。同じ93年に天元戦で挑戦者決定戦にまで進出したのですが、片岡聡先生に負かされました。また97年の十段戦でも挑戦者決定戦で加藤正夫先生に負け、またこのころ早碁棋戦の決勝でも負けたりしていたので、「大一番に勝てないのか…」という自分に対する疑いが生じてきていたのです。それまで割と順調に階段を上がってきていて、自分の碁にも自信を持っていたので、これが僕にとって初めてのつまずきでした。

 

「いつか勝てる」で脱却

 

今になって振り返ると、当時の僕は「勝ちたい」気持ちが強すぎましたね。つまり、焦っていたわけです。それまで関西総本部からタイトル獲得者が出ていなかったこともあって「何とか自分が」の思いばかりが先走っていたのでした。

 

それでは逆に結果が出ないことは当たり前で、当時の棋譜を見ても、そうした焦りが着手にもはっきりと表れていて、今見ると恥ずかしい気持ちになります。見るからに「勝ちたいです」という手が目立ち、目先の実利に走ってしまったり、形勢がよくなってから縮こまってしまう傾向がありました。つまり、自分のよさを忘れ、打ち方がチグハグになっていたのです。

 

当時の僕は「ブンブン丸」というニックネームをいただいていたように、戦いの中でパワーを発揮するところが最大の長所だったと思っています。それなのに実利を気にしたり、優勢になってからひたすら堅く打っていたのでは、自分を見失うのも当然です。大一番になればなるほどその傾向が強く、負けるべくして負けていたのです。

 

■『NHK囲碁講座』2013年6月号より

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