趣味

米長邦雄 脳裏に焼きつく一局


2013.05.06

米長邦雄永世棋聖
写真提供:週刊将棋

2003年、事実上の引退を決めていた米長邦雄永世棋聖は、森内俊之竜王(当時)とのリーグ5戦目を迎える。

 

米長の引退を見守った観戦記者は「筆者にとって思い出深い一局」と記しつつ、「強烈なインパクトが脳裏にくっきりと焼きついている」と、当時を振り返った。

 

*  *  *

 

筆者が朝の撮影で対局室に向かうと、和服を着た森内が下座に着いたところだった。ほどなくして和服に身を包んだ米長が対局室に姿を見せた。米長は「困るから」と下座に着く森内を上座に押しやろうとした。しかし、森内は頑として腰を上げない。席次はタイトルホルダーが上位という規定だが、森内は偉大な先輩に敬意を表して下座を選んだ。

 

しかたなく上座に着いた米長は駒箱を開けると“玉将”を手にして駒音高く5九の地点に打ち下ろした。下位者が使用する玉将を持つことで、米長もまた上座を譲ってくれた後輩へ敬意を表したのだ。森内は「失礼します」と申し訳なさそうに頭を下げて王将を盤に据えた。先輩と後輩の良き信頼関係があらわれた名シーンとして記憶に残っている。

 

盤外も印象的だが、それ以上に盤上が圧巻だった。相矢倉から迎えた局面で、後手・森内の一手に対して先手・米長が56分の長考の末に駒を置いた場面。米長は端攻めに転じて勝ちを確信していた。ところが、森内の次の一手を見て負けを悟ることに……。

 

後手が勝勢になった結果、以下数手で米長は投了を告げたのだった。

 

感想戦が終わり米長が森内を夕食に誘うと、「あなたもいらっしゃい」と筆者にも声を掛けてくれた。両者は理事室でスーツに着替え和服をカバンに収めた。袴の折り目を一つ一つたたむ様子を初めて目にしたが、それは想像以上に細かなものだった。華やかな表舞台を支えているものを垣間見た気がした。

 

その後の食事会は楽しいひとときだった。米長の話は書けないものもそれなりに多く、苦笑いを含めて笑いが絶えなかった。と思うと一転して真面目な話題を持ちかけ、急に意見を問われたりもする。緊張感もあったが、当時記者歴の浅かった筆者には新鮮で心地よく感じたものだった。

 

中でも印象深かったのが未来の将棋界についての話題。「もうじきインターネットの時代に突入する。将棋盤を使わないで対局する日も遠くはない」という主旨の話をされていた。そのときは米長の話を漠然と聞いていたのだが、約3年後の2007年春に新棋戦となるネット将棋最強戦を実現。卓越した洞察力と行動力に驚かされた。

 

食事が終わり森内と別れた米長と筆者は、将棋会館最寄りの千駄ヶ谷駅に向かった。筆者は米長が手にしていたカバンを「お持ちします」と提言したのだが、「いや、これは自分で持つ」と言って胸に抱えた。棋士にとって和服は命だということを知らされた。しかし、米長は筆者の気遣いをうれしく感じてくれたのか、乗り換えの途中で手洗いに立ち寄ったときに、外で待つ筆者に「じゃあせっかくの申し出なのでよろしく頼むよ」と預けてくれたのだった。軽そうに見えたカバンだったが、実際に持ってみるとこれがずっしりと重い。戻ってきた米長は「どうだ、けっこう重くてビックリしただろう」と言ってニヤリとした。「対局が終わった後の和服は汗がしみ込んだりもするから重くなるんだ」と言うと、「負けたあとに一人寂しく和服を片づけるのが辛くてね。このことは覚えておくといいよ」とアドバイスしてくれた。

 

「それにしてもあの一直線の勝ち筋を読み切るんだから、森内俊之は強すぎやしないか」と米長は笑いながら語っていたが、「渾身の将棋を指したというのにオレは負けた。やはり引退するべくして引退するのか」と寂しそうにつぶやいた。かと思えば急に姿勢を正し「後輩が私のために和服を着て対局してくれたのが本当にうれしかった。将棋は頼もしい彼らに任せて、これからは理事として運営面に専念することにする。その前に最後の一局を頑張るから、しっかり取材をしていい記事を書いてくれよ」と言い、トレードマークのさわやかな笑顔を振りまいて筆者の前から去っていった。

 

■『NHK将棋講座』2013年4月号より

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