趣味

宇田喜代子さんが説く 句作で大切なのは「見ること」


2013.04.08

都会に暮らしていても、緑ゆたかな土地に暮らしていても、身近なものごとに心を寄せなければ、季節とその変化に気づくことはできないだろう。「草樹」会員代表の宇田喜代子氏は、自分の目で確かめた小さな変化を楽しむことを大切と説いている。

 

*  *  *

 

春の到来を知る目安になる現象は、山国の雪解け、海辺の波浪の色や高さなど、地域によってちがいます。都鄙(とひ)を問わずどんなところにも季節の変化や風や雲、動植物のうごめきなど、その地に長らく住んできた人が経験則をもって知り、活用してきたその地ならではの「春到来目安カレンダー」ともいえる「自然暦」があります。

 

 

科学が進化し、かつては神秘の謎であった天文気象があきらかになるにつれ、かなりの的中率で季節やその日の天気がわかるようになりました。教えられる「今日の天気」を当てにして外出や洗濯の都合を図る方が多くなったのです。

 

ありがたいことなのですが、だれもがその便利を当然と思い、せっかくの先人たちが身を以て知り得たその地ならではの気象観測や観天望気への関心が失せつつあります。科学で知るほど高度ではないにしても、雲や風、気配や先人たちの言い残した里諺(りげん)などは、地震、台風、津波、その日の天気などを知るワザでもあったのです。

 

春の到来を知らせるそれぞれの地勢に適(かな)った自然現象があります。この川水がこの高さになったら、あの山のあそこにあんな形の雲が見えたら、あの鳴き声の鳥がきたら、あの池の雁(がん)が居なくなったらなど、機械機器が瞬時におしえてくれる情報を、父母、祖父祖母、その親、などは体験を通して得てきたのです。

 

そんな春が身近に確認できるのが、すぐ傍にある木や草の「芽」です。といいますと「わたしは都会のマンション暮らしだから木や草といわれても困るよ」という方がありますが、そんなことはない。この国に住んでいる方であれば、どんな所に住んでいても、あなたのための「草や木」はたっぷりとあります。

 

たとえ自宅が都市の高層住宅であっても、たとえばいつも歩いている駅までの径、たまたま眼にした畑の野菜、田の小道、公園の池の辺、マーケットまでの街路樹など、こちらが気をつけてさえいれば、春の使者である「芽」はどこにでもあります。

 

身近なところにある木、身近な場所に生える草、これを「わが木」「わが草」として「見る」ことを習慣とするのです。

 

忙しい日常にそんなことなど無理と思われるかもしれませんが、わざわざ足をとめて観察するのではなく、歩きながら「あっ」と眼をとめる、そんな「見る」で十分です。すると最初に眼をとめたときには五ミリ程度であった芽が、二、三日のちには一センチに伸びています。すると「わが木の芽よ草の芽よ」という愛しさが湧いてきます。

 

自分の眼で確かめたこの変化への愛しさは、他から教えられて知る知識にはない感動でもあります。

 

句作の根にある感動とは、天地を鳴動させるような大感動ではなく、いわばたかだか「草の芽」が出たくらいで、と言われるような小さい感動から出発する、それでいいのです。

 

■『NHK俳句』2013年3月号より

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