趣味

一代の名人 木村義雄


2015.09.13

木村義雄八段と神田辰之助八段の対戦。後手が3筋を攻められている局面ですが、この攻めは後手が誘ったものです。

江戸時代の最後を飾る形で活躍した天野宗歩のあと、明治、大正時代の将棋界には関根金次郎、阪田三吉というスター棋士こそ現れたものの、江戸幕府の庇護(ひご)からは離れ、全体的に衰退期に入っていました。そんな状況を打破することになったのが名人戦を初めとする新聞棋戦の出現です。関根金次郎十三世名人の英断によって昭和10年から始まった実力制名人戦はファンの熱狂的な歓迎を受け、木村義雄という新しい時代のスターを生み出します。石田和雄(いしだ・かずお)九段が、将棋の普及に大きな役割を果たしたこの大人物の軌跡を辿ります。

 

*  *  *

 

木村義雄は明治38年2月21日、東京都墨田区の生まれ。幼いころから囲碁と将棋が強く、最初は囲碁の道場に通いましたが、先生の家で出される麦飯になじめず、それを知った父は今度は将棋の会所に義雄を通わせました。

 

浅草の将棋道場で関根金次郎に出会い、大正5年に入門。大正6年には関根の紹介で柳沢保恵伯爵邸に書生として住み込み、夜学に通いつつ将棋に励むことになります。その後の成長は周囲の予想以上でした。

 

昭和12年、将棋史上初の実力名人に就いた木村はまさに勝ちまくります。昭和15年には52歳の挑戦者・土居市太郎八段の挑戦を4勝1敗で、17年には神田辰之助八段の挑戦を4連勝で破り連続防衛。その間、行われた「名人八段勝抜戦」では半香の手合いで八段の九人抜きを果たします。

 

負ければニュースになると言われた木村名人の無敵ぶりは大相撲の横綱・双葉山と並び称せられ、将棋をあまり知らない人たちの間にも木村の名前は知れ渡り、将棋の普及や棋士の社会的地位向上に大きな役割を果たしました。時の最強者が名人位に就くという実力名人戦開始の目的は関係者の思惑以上に理想的な形で実現されたのです。

 

だが、その木村無敵時代も戦争を境に状況が変わります。戦後は打倒木村を目指す気鋭の挑戦者が続々と現れました。昭和22年の第6期名人戦で塚田正夫八段が木村を4勝2敗1持将棋で破り、その牙城を崩します。続く第7期名人戦では関西の新鋭、大山康晴八段が挑戦者になりましたが塚田に敗れます。さらに、第8期名人戦では木村が塚田を3勝2敗で破り、名人復位の偉業を達成します。このあと、木村は第9期名人戦では大山八段を、第10期名人戦では升田幸三八段の挑戦をはねのけ晩年の大仕事を成し遂げます。それは木村の意地でした。しかし、昭和27年の第11期名人戦で大山康晴に1勝4敗で敗れた木村は、「よき後継者を得た」の名文句を残し、引退の道を選びます。それは20年近く続いた木村時代の終焉(しゅうえん)でありました。

 

木村の名ライバルといえば、戦前は神田辰之助、戦後は升田幸三です。関西出身の神田は関東に対するライバル意識がすごく、「闘志が対局している感があった」と木村は書いています。今回紹介する木村との対戦は第1期実力名人を決めるリーグ戦の1局です。その神田は第3期名人戦で敗れてまもなくの昭和18年に帰らぬ人となりました。

 

もう一人、木村のライバルの升田幸三は一代の風雲児です。戦前の木村全盛期に頭角を現し、新しい戦法を次々と編み出して木村を苦しめます。しかし、肝心の名人戦では弟弟子の大山に先を越されることになるのです。

 

※テキスト別冊付録「リバイバルNHK将棋講座 古い棋譜を訪ねて」には、昭和12年9月の名人決定大棋戦(木村ー神田)、昭和26年3月の第10期名人戦第1局(木村ー升田)の棋譜と石田九段による解説を掲載しています。

 

■『NHK将棋講座』2015年8月号 別冊付録 「リバイバルNHK将棋講座 古い棋譜を訪ねて」より

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