趣味

佐藤義則八段が師匠と交わした最初の約束


2014.09.13

佐藤義則八段(右)、芹沢博文九段 写真:河井邦彦・日本将棋連盟

佐藤義則(さとう・よしのり)八段がプロ入りすることになったきっかけは、受験勉強まっただ中の中学3年生のときに偶然手にした『将棋世界』だった。掲載されていた地図をたよりに将棋会館道場へ赴き、その後の人生は一変する。佐藤八段が当時を振り返った。

 

*  *  *

 

将棋会館道場では、3級から指し始めて、昭和39年の4月か5月には三段になった。当時の昇段点は23勝7敗で、同じ人と2局続けて指す規定だった。

 

初段のころ、米長さん(邦雄永世棋聖)に指導対局を受けたことがある。米長さんが四、五段の若手のころで、これがプロと初めて指した経験である。二枚落ちで負かされたが、まだ子供で分からないから、終局後もずっと盤の前に座っていた。ふだんの対局では2局指すので、そういうものと思っていたのだ。

 

米長さんは怪訝(けげん)そうに見ていたが、しょうがないと思ったのか、もう一局指してくれた。1局目に二枚落ちの指し方を教わっていたので、2局目は勝つことができた。

 

このころからプロになりたいと思い始めていた。あるとき道場の手合い係の女性に、奨励会試験を受けたいのかと聞かれ、「そうです」と答えると将棋連盟の総務部にいたうちの師匠(故・芹沢博文九段)を紹介してくれた。道場は総務部の管轄だったのである。師匠と飛車落ちで対局して勝ち、それならということで、高校1年の夏休みに試験を受けた。

 

当時は奨励会試験を受ける人間が少なく、入りたい者は入れるという感じだった。事実、そのとき受けたのは私一人だった。奨励会に入ってすぐ、1学期で高校はやめた。

 

「君はスタートが遅いので、将棋に専念しないと」と師匠に言われたせいもあるが、学校の勉強もあまり好きではなかった。

 

父と兄からは「入学金を納めたばかりなのに…」とぼやかれた。ただ、5人兄弟の末っ子だったせいか、強く反対はされなかった。

 

父は警視庁の捜査2課の刑事で、「お父さんが刑事だったから、君を弟子に取ったんだ(笑)」と師匠は後によく言っていた。

 

この年の10月ごろに将棋連盟の塾生になることができた。塾生とは将棋連盟に泊り込み、雑用をこなしながら、修業をする制度である。3、4人いたが、地方から出てきた人が多く、私のように東京の出身者は珍しい。勉強する時間を持たせようという師匠の配慮だった。

 

初段になるか、20歳になるまでは塾生をやめないというのが、師匠との最初の約束だった。20歳になったらやめてもいいのは、その年齢までに初段になれないようでは見込みがないという意味である。

 

塾生は朝から掃除や食事の注文取りの雑用があり、午後11時からが自由時間である。真剣に棋譜を並べていると、夜中の2時、3時になる。この勉強が財産になった。

 

インターネットはもちろんのこと、コピー機もない時代である。名人でも誰でも将棋連盟に来て、手書きの棋譜を見るしかない。それが身近にある環境は大きい。

 

6級で入会して、1年2、3か月で初段になった。初段のときに塾生をやめたが、今から振り返ると、もう少し辛抱しておけばよかったと思う。

 

■『NHK将棋講座』2014年9月号より

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