趣味

極度の人見知りだった郷田真隆少年の生活を一変させたものとは


2014.07.09

大友昇九段(左)と、郷田真隆NHK杯。写真:河井邦彦・日本将棋連盟

小学3年生のとき、人見知りだった郷田真隆(ごうだ・まさたか)少年は意を決して将棋道場に足を運んだ。そこには、やがて心から師と仰ぐことになる大友昇(おおとも・のぼる)九段がいた。将棋を覚えた幼少期、そして師匠と出会うまでを、郷田NHK杯が活写する。

 

*  *  *

 

幼少のころの、一番初めの記憶が妙に頭に残っている。よく晴れた日の昼下がり、家に帰宅した父か母かを、玄関先に出迎えるときのこと。覚えているのには理由があって、それが当時の私の一番の楽しみだったからだ。姉と二人でいつもそうしていた。3歳のころのこと。

 

そのときには既に将棋を知っていた。父から手ほどきを受けたのだが、どうやってルールを覚えたのかは、あまり記憶が残っていない。はさみ将棋や回り将棋はよく家族でもしていて、何より、大の将棋ファンだった父の影響で、家には盤駒、雑誌、新聞の切り抜き等々、将棋に関するものがあふれていた。

 

私が生まれ育った家は祖父母の家と同じ敷地内にあり、日本家屋だった祖父母の家に、土日になると父の将棋の相手をしに、近所のおじさんが来たりしていた。まさに縁台将棋。私は時々それを眺めていたが、ご近所さんと話したりはまず出来ない子供だった。子供のころの私は極端な人見知りで、将棋も父としか指さなかった。

 

小学校に入るころになっても人見知りは変わらず、学校から帰ってもたまに仲の良い友達と野球ごっこをして遊ぶくらいで、あとは祖母と一緒にテレビで相撲をみるか、大概は庭の桜の木の上で暗くなるまで一人で寝転がっていた。

 

道場に通い生活が一変

 

小学3年のとき、大きな転機が訪れる。いつも父(アマ二、三段)と二人で将棋を指していたが、どうも父に勝ち越すようになってきたのだ。何十番何百番と指していて、次第に父の考えていることや弱点、出方が分かってくる。勝負にこだわる人でもなかったので、尚更(なおさら)その傾向が強くなっていた。

 

そうしたあるとき、生まれて初めて、父以外の人と将棋を指してみたいと思った。ちょうど近所に将棋道場がある、とのこと。夏休みに入ったころだっただろうか、超の付く人見知りの私としては大英断を下して、母に頼み、その将棋道場へと連れて行ってもらったのだった。

 

道場はビルの3階にあった。母と一緒だが、それはそれは緊張して、恐るおそる扉を開けて中に入ると、驚くほどの広い空間がそこに広がっていた。平日の昼間だというのに大勢の人たちが将棋を指していて、その熱気と、よく日が射して風通しの良い大部屋とが相まって、開放的で健全な空気に包まれていた。そこで、一人の少し小柄な、気難しそうな人と話すことになる。将棋も指したらしい。それが、師匠大友昇との出会いであった。

 

そのときのこともよくは覚えていない。ただ、今は指導棋士になられた兄弟子の田畑良太さん(六段)と、米谷和典さん(五段)が道場を手伝われていて、とくに田畑さんに一局指していただいたことははっきりと覚えている。その前に師匠から“2級”と棋力の判定を言い渡された。で、田畑さんは「3級です」と言われた。何か変だなあ、と思いつつもとりあえず対局、となった。終盤になるにつれて、田畑さんが緩めて指してくださっていることが何となく伝わってきた。それはそのはずで、田畑さんはもう入門されていて、奨励会の3級であったのだ。

 

興奮冷めやらぬまま、帰りの迎えに来てくれた母と二人、2級と言われて不満だったことを話した気がする。でも、すぐに上がればいいや、と思った。

 

その日から、私の生活は一変した。学校はもちろん、習っていたエレクトーンの教室、友達と遊ぶことも、どうでもよくなった。木の上で寝そべっているより、道場で将棋を指しているときのほうがよっぽど楽しい。学校から帰るその足で道場へ直行、営業時間が終わり近くになるまで何番も何番も指していた。楽しくてしかたがなかった。

 

■『NHK将棋講座』2014年7月号より

このエントリーをはてなブックマークに追加

  • テキストビュー300×56

000000056852017_01_136

おんな城主 直虎 四

2017年09月29日発売

定価 1512円 (本体1400円)

000000817222017_01_136

西郷どんとよばれた男

2017年08月29日発売

定価 1188円 (本体1100円)

000000056872017_01_136

NHK連続テレビ小説 ひよっこ 下

2017年09月11日発売

定価 1404円 (本体1300円)