趣味

小林光一名誉棋聖、趙治勲二十五世本因坊とのショッキングな出会い


2014.04.04

小林光一名誉棋聖。       撮影:小松士郎

棋聖8連覇、名人7連覇、碁聖6連覇、世界選手権富士通杯優勝――

 

通算獲得タイトル数は歴代3位の59と、燦然(さんぜん)たる足跡を残した小林光一(こばやし・こういち)名誉棋聖。まさに「昭和後期から平成にかけての覇者」と形容するに値する大棋士である。

 

好敵手・趙治勲(ちょう・ちくん)二十五世本因坊との長年にわたる激闘は、昭和後期から平成にかけての囲碁史のハイライトとも言えるが、その原点は入段前、木谷道場での修業時代にまでさかのぼる。

 

小林名誉棋聖が囲碁との出会い、そして趙二十五世本因坊との運命的な邂逅を述懐する。

 

*  *  *

 

私は北海道の旭川市出身で、碁を覚えたのは8歳のときでした。プロ棋士としてはけっこう遅いと言えるのでしょうね。趙治勲さんなんかは3歳ですから…。

 

父が碁を好きでね。5級くらいであまり強くはなかったのですが、よく家に友達とかを呼んで打っていた。それを見ているうちに、いつの間にか碁の打ち方を覚えていたのです。半年くらいで追い抜いてしまったら、父は打ってくれなくなりました。よくあるパターンですね。

 

それで小学校3年のときから、毎週日曜日、碁会所に通うようになりました。私としては毎日でも行きたかったのですが、その碁会所が遠く、学校もあったので、週に1回しか行けなかったのです。

 

旭川は田舎で、当時はなかなか出版物も手に入らない状況でしたから、家に碁の本はほとんどありませんでした。月に1回送られてくる雑誌『囲碁クラブ』が実に待ち遠しかったものです。詰碁もあまりやった記憶がなく、そんな環境だったので、私はほとんど実戦のみで強くなったのだと思います。周りの大人にうまくおだてられ、それでまた強くなったということだったのでしょう。

 

で、やがて旭川で地方棋士をされていた早瀬先生という方に教えていただくようになったのですが、この早瀬先生が木谷實先生と懇意にされていて、私のことを木谷先生に推薦してくださったのです。小学校6年のときでした。

 

小学校を卒業して中学校に入る前、東京に出てきて木谷先生の内弟子になった最初の日のことは、今でも覚えていますよ。

 

腰におもちゃのピストルをぶら下げた子供がいましてね、部屋とか廊下あたりを走り回っている。私はてっきり「近所の子が紛れ込んだのだろう」と思っていたのですが、これが当時8歳だった趙治勲さんでした。

 

で、彼と打つことになったのですが、木谷先生は「君が黒だ」と言うのですよ。定先で打ちなさいと…。「こんなに小さな子に黒なんて、どういうことだ?」と思ったのですが、実際に打ってみたら、そのとおりだった。はっきりと私より上なんですよ。確かに僕が定先くらいの手合でした。

 

これが最初のショックでしたね。12歳の私より、8歳の彼のほうが強いのですから…。「これはとんでもないところに来てしまったぞ」と思ったものです。

 

■『NHK囲碁講座』2014年4月号より

 

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