趣味

山田久美女流三段、女流棋士に憧れた中学生時代


2014.04.07

西村一義九段(左)、山田久美女流三段(右)。撮影:河井邦彦

山田久美(やまだ・くみ)女流三段は、中学生のときに初めて西村一義(にしむら・かずよし)九段と出会い、その薫陶を受けるうち女流棋士への憧れを強くしていった。中学卒業後は、西村九段の内弟子になり、女流プロデビューを果たしたが、ことはそうすんなりとは運ばなかったという。山田女流三段が懐かしい日々を語った。

 

*  *  *

 

西村先生と初めてお会いしたのは、記憶が定かではないが、私が中学2年生の秋ごろだったと思う。隣町にプロ棋士が来る! と聞き、二枚落ちで指導を受けたのが最初だった。

 

私は小学6年生の3学期から将棋を始め、中学に入ると毎日道場に通い、週末にはいろいろな所の大会や出稽古に行っていた。当時の棋力は通っていた道場で初〜二段、六枚落ちから教えていただいた六段のおじさんに二枚落ちで勝ったり負けたりだった。なので、当然プロに二枚落ちでは手合い違いで…良いところもなく負かされたと記憶している。その後、詰将棋の色紙をいただき、1日中考えてもなかなか詰まない。2日後の朝、目が覚めた瞬間に「解けた!」と、感動したのも懐かしい思い出だ。ちなみに13手詰だった。

 

そして、この子は筋が良い、ぜひ弟子に! とはいかず、正式な弟子入りはそれから1年半後となる。

 

初めてお会いしたときの私は、多分師匠の記憶には無いと思う。その翌年の1月に西村先生の師匠、故・佐瀬勇次名誉九段が、春から内弟子となる女の子を連れて私の地元群馬県太田市にやってきた。どういう事情かわからないがその場に私も呼ばれ、その3歳下の女の子と対局をした。そして、佐瀬一門の研究会を毎月将棋会館でやっているから来てみないか? と、お誘いをいただき、行ってみたら西村先生がいらしたのだ。

 

研究会はにぎやかだった。主に一門の奨励会員の研究会なのだが、そこに交じって入門前の子供たちもおり、将棋を指す以外に同じ年頃の子たちと隣の鳩森神社で遊んだりもした。初めのころ私は、将棋界、特に奨励会の厳しさなど全くわからず、まるで学校の友達と一緒にいるような感覚でいたが、西村先生はそうした子供たちに、毎月道徳心を養うために(だと今、思う)小冊子を与え、どの子にも厳しく接することはなかったように思う。また、ある日米長邦雄先生が羽織袴(はかま)でいらしたことがあった。子供ながらに空気が変わったような気がして緊張したが、羽織袴のまま子供たちを近くの新宿御苑に連れていってくれた。多分我々があまりにもうるさいので、奨励会員の邪魔になるだろうと連れ出したのだろう。そのように一門のまとめ役として西村先生や米長先生がおり、同時に佐瀬先生の「お守り役」も担っていたのかもしれない。

 

中学3年生になると(佐瀬一門に片足入門中の)アマチュアとして将棋まつりに出させていただいたりもした。当時の佐瀬一門は内弟子が多く、佐瀬先生、米長先生のお宅にはそれぞれ2人ずつ内弟子がおり、内2人はすでに女流棋士として活躍していた。そんな2人を近くで見ていて、羨ましさと同時に女流棋士になることに憧れるようになっていた。

 

そんな中、夏の将棋まつり会場で、西村先生から「中学を卒業したらどうするのか?」というようなお話をされ、考えるまでもなく「女流棋士になりたいです」と答え、私の中ではしっかりと進路が決まっていたのだが。

 

さて、それからの山田家は大変だった。高校も行かず将棋の道に進みたいという私に、母は「そんなどうなるかわからない世界に飛び込むなんて、お父さんが将棋なんか教えるから!」と夫婦ゲンカが始まり、「せめて高校を出てからでも遅くはないか?」と言う父と私の親子ゲンカの連日。結局は「そんなに反対なら西村先生の家に家出する!」とタンカを切ったのが好手で、更に西村先生に「高校に行く3年間を将棋の学校に入ったと思ってください」とおっしゃっていただいたのが決め手となったようだ。

 

■『NHK将棋講座』2014年4月号より

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