趣味

中田章道七段が語る師匠・板谷四郎九段との思い出


2014.03.07

板谷四郎九段(左)、中田章道七段(右) 写真提供:日本将棋連盟

板谷四郎(いたや・しろう)九段は26歳のときに二段で木村義雄十四世名人門に入るという異色の経歴を持つ。名古屋に在住して、息子の進九段とともに中京棋界の発展に尽力した。高校3年生で板谷九段の内弟子となり、その薫陶を受けた中田章道(なかた・しょうどう)七段は、「師匠が板谷四郎でなかったならば、私はプロ棋士になれなかったかもしれない」と述懐する。中田七段が板谷道場の、そして師匠との過ぎし日々を語った。

 

*  *  *

 

奨励会に入ったのは高3の秋で17歳5級。高校卒業までの半年間は関東奨励会(東京)に所属し、毎月2回の例会には夜行列車で対局前日に上京した。

今とは違い、何時間かかったのだろうか。そしてまた、列車の中で何を考えていたのかは全く思い出せない。ただ覚えているのは帰る途中の横川駅、“峠の釜めし弁当”がおいしかった。

 

高校卒業後、名古屋へ。師匠板谷四郎の内弟子となり、奨励会も関東から関西に移った。そのころの師匠宅は名古屋市昭和区川名本町にあり、川原神社(通称川原弁天さん)の真向かい。ここに住んでおられた。

大きな家ではなく、1階に師匠の部屋と居間兼食堂と台所、2階に和室3部屋があった。家族は奥さんと末娘の春枝さんで、長男喬さんと次男進さん、長女美恵子さんは結婚して独立されていた。後で知ったことだが、この家は借家だった。

 

師匠は私のために自分の部屋を空け2階へ。あのころは何も思わなかったが、随分ご迷惑をおかけしたのである。

当時師匠はすでに引退されていたが、次男の進さんは新進気鋭のプロ棋士六段。師匠は大先生、進さんは若先生と呼ばれていた。

 

道場を手伝い修業に励む

 

師匠は名古屋市内で道場(板谷将棋教室・昭和34年開設)を開いておられ、私は道場を手伝いながら修業に励んだ。

毎日奥さんの芳枝夫人が弁当を作ってくださり、それを持って通った。中には必ず砂肝が入っていて理由はあるのだが、ここでは書かない。

夜は外食が多かったが、時には師匠の差し入れがあり、そのときはカツサンドか当時はやりのケンタッキーフライドチキン。“寿司與(すしよ)”の握りのときもあり、どれも田舎出の私にとっては大変おいしかった。

 

あるとき、塚田正夫先生が名古屋に来られた。師匠は行きつけの店に招待され、私も同席させていただいた。懐かしい思い出だが、何を食べてどんな話をしたのか全く覚えていない。

あのころの板谷道場は大盛況で毎日忙しかったが、将棋しか頭にない私は楽しかった。時にはアマ強豪の方とも対戦し、それが勉強になった。

 

将棋大会の前日は奥さんと私の2人で駒を磨いた。木製の安い駒だが、中にはカビが生えたのもあって、それを磨き取るのだ。将棋大会は盛況で、時には1000人を超えることもあった。

 

その分使用する駒や盤も必要で、駒はまだしも盤はかさばる。当時は盤も木製で、今のようなソフト盤は普及していない。運ぶのは大変苦労した。

 

話題は変わるが、師匠宅にはチーコとチャーコが同居していた。ダックスフンド犬で足が短い。散歩は奥さんか春枝さんの日課で、私は免除された。奥さんが食事を作っていたが、砂肝が好物だった。

自動車もあって、フォルクスワーゲン。春枝さん用の車で、師匠は春枝さんには甘かった。思い出多い川名時代だが、内弟子生活は1年足らずで終わった。

 

四段昇進 プロ棋士に

 

三段時代の話で、今でもはっきり覚えていることがある。私が勝てば四段が決まる対局のことで、奨励会幹事は有吉道夫先生。手合いもつけておられ、「青木君と中田君」と名前を呼ばれた。当時三段の青木清さんが相手で、私は青木さんが苦手だった。ところが青木さんは「代えてください」と言うのだ。すると酒井順吉さん(当時三段)が手を上げ、「私がやります」と発言。しかもそれが通って、酒井さんと対局することになった。今の奨励会では全くありえないが、当時は通ったのである。

 

私はどちらかと言えば、酒井さんのほうが指しやすい相手。内心しめしめと思って対局したのだが、この日の酒井さんは強かった。私は敗れて昇段を逸した。

 

結局四段になったのは、約1年半後の昭和51年8月19日。24歳のときである。しかも対戦相手はあの青木三段だった。

その夜は大阪で飲み明かし、師匠への報告を怠ってしまった。翌日名古屋に帰って、怒られるかと思ったが、師匠はやさしかった。

 

師匠板谷四郎は現役時代、A級棋士として活躍された。引退後は中京棋界の発展に尽力され、多くの弟子の育成に努められた。

私が四段昇段後の師匠との思い出も尽きないが、今回はここまで。師匠が板谷四郎でなかったならば、私はプロ棋士になれなかったかもしれない。

 

大恩人の師匠は平成7年9月29日、82歳で亡くなられた。

 

■『NHK将棋講座』2014年3月号より

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