趣味

西本願寺主家に生まれた歌人・九条武子の父を思う歌


2014.02.10

京都西本願寺主家に生まれた美貌の歌人、九条武子(くじょう・たけこ)は、お姫さまとして大切に育てられた。17歳のときに愛する父を亡くした武子は、その悲しみを歌に残している。「かりん」会員の中津昌子(なかつ・まさこ)さんが解説する。

 

*  *  *

 

若い人はともかく、ある年齢以上の人には、九条武子というとすぐに浮かぶイメージがあるだろう。京都西本願寺の高貴な生まれ、そして結婚後は、外国から長く戻らぬ夫を待ち続けた、美貌の歌人、というような。そんな境涯への興味がむしろ大きく寄せられた歌人は、実は、どのような作品を残し、またそれらは現代から見ると、どのように鑑賞されるものだろうか。

 

 

九条武子は明治20(1887)年に、西本願寺21代法主、大谷光尊(明如上人)の二女として生まれた。母藤子は側室であった。小学校6年までは学校に通ったが、その後は家庭で教育を受けた。当時を詠んだ歌として、籠谷眞智子の『新装版九條武子― その生涯とあしあと―』は次のような一首を挙げている。

 

白絹にちりもすゑじとつゝまれし人形の身もうれしとし思ふ

『拾遺集』

 

大切に大切に、お姫さまとして育てられたのである。幼稚園、小学校へは人力車で通った。髪型は稚児髷(ちごまげ/前はおかっぱ、頭の上に大きな輪を作って調える)を結い、衣装も華やかなものだった。当時においては、まさに生き仏の子であり、往来でその姿を見て手を合わせる人もあったという。学校に通わなくなってからは、家庭で、つまり浄土真宗の中枢の環境で、教学のみならず、茶の湯、謡曲、琴、絵等において、一流の師についた。歌は特に、父光尊が熱心で、御歌所の歌人に添削を受けたり、早くから歌会にも出ることがあったという。武子は非常に父にかわいがられたというが、明治36(1903)年、彼女が十七歳の時にその父は亡くなる。この時のことを武子は後年、「生れて始めて人の死を見た。まして骨肉の父の死である。日頃可愛がつた我児も忘れてしまつたやうな顔をして居つた。便り無い、ほんとに心細い死といふものが、こんな造作ないものかとも思はれた。夢のやうな真実のやうな心もちで、温かい間手を握つて泣いて泣いて泣きぬいた」(『無憂華(むゆうげ』)と記している。思春期に、他ならぬ父によって直面させられた「死」の大きさを思わずにはいられない。『金鈴(きんれい)』は武子生前唯一の歌集であるが、その中に次のような歌が収められている。

 

三夜荘父がいましし春の頃は花もわが身も幸多かりし(父の法会に)

 

幸うすきわが十年(ねん)のひとり居に恋しきものを父とし答ふ

 

歌よめとをしへられつる九つの父がみまへのわれの恋しさ

 

三夜荘(さんやそう)は伏見にあった別邸、また二首目の「十年」は夫が外国から戻らなかった歳月である。いかに父を、父と過ごした時を、武子がいとおしんでいたかがわかる。

 

■『NHK短歌』2014年2月号より

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