趣味

弟子を取ることにためらいを感じていた加藤博二 九段


2014.01.09

加藤博二九段(左)と堀口弘治七段(右)。撮影:河井邦彦

加藤博二(かとう・ひろじ)九段は寡黙で「謹厳実直」という言葉がもっとも似合う棋士だった。その人柄ゆえ、弟子を取ることにためらいを感じていたせいか、四段になった弟子は堀口弘治(ほりぐち・こうじ)七段だけである。師匠の恩とは、その存在自体が弟子を守っていることだと堀口七段は言う。師匠の訃報に際し、堀口七段が師匠との出会いを振り返る。

 

*  *  *

 

10月下旬、家内とともに所沢の師匠宅を訪れ、ご遺骨に焼香させていただいた。ご遺影は、タイトル挑戦時と思われる、たばこを右手に持って唇の左端にくわえ、首をやや左に傾けながら眉間にしわを寄せ、盤を鬼の形相でにらみ下ろす、圧倒されるほど迫力あふれる姿。家内の口からおもわず「かっこいい」と声が漏れるほどの若き名優画であった。

 

2013年9月15日午後、師匠加藤博二九段は家族に見守られながら、ちょうど誕生日を迎えた90歳でその生涯を閉じた。

 

A級10年、第14期王将戦挑戦者、高松宮賞受賞、B級選抜トーナメント優勝、将棋栄誉賞受賞。引退後も将棋大賞東京将棋記者会賞ならびに勲五等双光旭日章の栄誉にたたえられた、品格あふれる偉大な棋士であった。葬儀は親族のみで厳かに営まれ、将棋連盟からは会長よりお花と弔電、そして私も「堀口門下一同」のお花を供えさせて頂いた。

 

今から37年前、昭和51年秋、中学3年生のとき、当時東府中にあった小野田茂席主が経営する将棋道場で、初めて師匠と会った。その年の夏、私がアマ名人戦東京都三多摩大会で優勝したのをきっかけに、プロを目指すため弟子入りする試験将棋を行う場においてだった。当時師匠は、この道場の顧問であった。私のアマチュア時代の恩師、御林秀夫さんはプロ棋士との交際範囲が広く師匠とも知り合いだったのがきっかけである。

 

試験将棋の当日、10畳ほどの狭い将棋道場にあふれるほどの人が集まったのを覚えている。私はプロ棋士に指導を受けるのは初めてで、訳が分からず、とにかく大きな先生だなと思ったくらいである。当時アマ四段だった私との手合いは飛車落ちだった。定跡どおり仕掛けたつもりだったが、上手に変化され紛れてやや下手苦戦となった。

 

最後に私が玉の早逃げで詰めろ逃れの詰めろをかけた手に対して、私の目を見て師匠はこういった。「君、これで勝ちと思ったかね?」。私は、即座には何も答えられなかった。実際は、上手にさらにそれを上回る手があり、下手の負けだったのだ。

 

しかし、師匠はそのとき、私に見込みがあることを感じたらしい。後に師匠は奥様にこう語ったという。「堀口君はA級八段になると思ったがな」。残念ながら、その言葉を裏切ってしまった。

 

その年12月、プロの登竜門である奨励会試験に3勝3敗でなんとか合格した(同期に中村修九段と中田宏樹八段がいる)。師匠との思い出は、正直それほど語れるものは決して多くない。もし棋士として一人前になれなかったことを考え、真面目な師匠は弟子を取ることにためらいを感じていた。結局四段になった弟子は私一人だった。

 

■『NHK将棋講座』2014年1月号より

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