趣味

伊藤能六段、「うーん、米長かなあ」で実現した米長邦雄永世棋聖への弟子入り


2013.12.06

米長邦雄永世棋聖(左)。撮影:河井邦彦 伊藤能六段(右)。写真提供:日本将棋連盟

名棋士・米長邦雄(よねなが・くにお)永世棋聖がこの世を去ってから1年近くがたつ。盤上の活躍もさることながら、弟子の育成、将棋連盟の会長職など何事にも全力投球で、将棋界を駆け抜けていった。筆頭弟子の伊藤能(いとう・のう)六段が、入門した当時の米長永世棋聖のエピソードを綴る。

 

*  *  *

 

プロ志望を聞いてオロオロした父

 

私が将棋道場に通い始めたのは小学6年生の秋だった。最初は5級か6級だったか。

 

1年半くらいで三段になったころ、席主の関則可さんが「プロになる気があるなら師匠を紹介するけど、棋士は誰が好きだい」と声をかけて下さった。特に思い浮かばなかったが、そのとき、たまたま師匠の著書を読んでいたこともあって「うーん、米長かなあ」と答えたような気がする。

 

まさか、それがそのまま実現するとは思わなかったが…。本当に運が良かった。自宅に帰ってそれを父に話すと、それまでの会話では「ふーん、なれるといいね」と呑気(のんき)な応答だったから喜んでくれるかと思いきや、驚きの表情を飛び越えて急に固まり、脂汗をタラタラ流してオロオロしている。やがて受話器を手に取ると「うちのなんかが少しは見込みがあるのでしょうか?」と関さんに質問なぞをし始めた。

 

そうか、これは親にとっては大変なことなんだなあ、と初めて自覚した。それがすなわち自身にとって容易ならざることとは、まだわかっていなかったのだ。

 

関さんと父に連れられて、中野区鷺宮にある先生の自宅に挨拶に伺ったのが昭和50年春。これが師匠との初対面である。

 

こんなすごい先生が本当に師匠になって下さるのだろうかと思ったが、当時新四段だった桐谷広人さんに二枚落ちで教わると、あっさり「じゃあ今度の試験を受けてみなさい」と相成った。そのころは受験者のレベルがまだ低く、弱いアマ三段だったが入会試験は無事通過。昭和50年秋に6級で奨励会に入った。同期入会で四段になったのは神谷広志七段、大野八一雄七段、飯田弘之六段である。

 

当時、師匠は将棋連盟理事を務めており、後に知ったことだが、将棋会館建設のために奔走していた。私の入門時は新会館建設中で、当初は日本棋院から借りていた高輪にある木造の建物に通った。現在の東京・将棋会館落成は昭和51年4月。奨励会員ながら、綺麗(きれい)で近代的なビルに心が躍ったものだった。

 

入会して言われたのは「詰将棋をひたすら解きなさい」ということ。もちろん、あの伊藤宗看・看寿の将棋無双・図巧をやることも申しつけられた。そして「奨励会は香落ちが大事だから、これを何回も並べなさい」と辞書のような香落ち定跡の古書を手渡された。

 

それからは、師匠の棋士仲間との研究会の折など、月に1回くらいの割合で自宅に呼ばれて、奨励会の将棋を講評していただいたり、家族や棋士仲間との焼肉屋などでの食事に交ぜてもらうこともあった。

 

あるとき、若手棋士だった勝浦修、真部一男両先生を連れ立って囲碁の藤沢秀行先生のお宅を訪問することになり、私も同行することになった。藤沢先生は例のごとくベロンベロンに酔っ払っている。

 

しかし、師匠と両先生が藤沢先生を尊敬、敬愛しているのは少年の私にもよく理解できた。その日は遅くなり、初めて師匠の家に泊めてもらったのも印象深い。「今日はどう感じた? しょうもないオッサンだと思ったか、それともすばらしい人と思ったか」と聞かれて、中学生の私は答えに窮した。

 

■『NHK将棋講座』2013年12月号より

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