趣味

「閑かさや」の句に秘められた真実


2013.10.25

閑(しずか)さや岩にしみ入(い)る蝉(せみ)の声

 

松尾芭蕉が山形県の立石寺(りっしゃくじ)で詠んだこの句は、『おくのほそ道』の中で大きな意義を持っていると俳人の長谷川櫂(はせがわ・かい)氏は言う。しかし、蝉が鳴いているのであれば、閑かというよりはやかましいのではないか——そんな疑問も浮かぶ。この句に秘められた意味を、長谷川氏が解説する。

 

*    *    *

 

山形領に立石寺(りゅうしゃくじ)と云(いう)山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊(ことに)清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依(より)て、尾花沢よりとつて返し、其間(そのかん)七里ばかり也。日いまだ暮(くれ)ず。梺(ふもと)の坊に宿かり置(おき)て、山上(さんじょう)の堂にのぼる。岩に巌(いわお)を重(かさね)て山とし、松栢年旧(しょうはくとしふり)、土石(どせき)老(おい)て苔(こけ)滑(なめらか)に、岩上(がんしよう)の院々扉(とびら)を閉(とじ)て物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這(はい)て、仏閣(ぶっかく)を拝し、佳景寂寞(かけいじゃくまく)として心すみ行(ゆく)のみおぼゆ。

 

閑さや岩にしみ入る蝉の声

 

「岩に巌を重て山とし」とあるとおり、岩に岩を重ねたような山のところどころにお堂が建っています。古い山水画の空中にそびえる岩山を思い浮かべても、それほどまちがってはいない。

 

ここで芭蕉が詠んだ「閑さや」の句は『おくのほそ道』の中で大きな意義をもっています。西脇順三郎(詩人、1894—1982)ふうに訳すと、

 

何たる閑かさ

蝉が岩に

しみ入るやうに鳴いてゐる

 

こんなふうになりますが、蝉が岩にしみいるように鳴いているのなら「何たる閑かさ」どころか、「何たるやかましさ」ではないか。

 

やかましいにもかかわらず芭蕉が「閑さや」とおいたのは、この「閑さ」が蝉の鳴きしきる現実の世界とは別の次元の「閑さ」だからです。そこで本文に目をもどすと「佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ」とあって「閑さ」は心の中の「閑さ」であることがわかります。

 

芭蕉は山寺の山上に立ち、眼下にうねる緑の大地を見わたした。頭上には梅雨明けの大空がはてしなくつづいています。そこで蝉の声を聞いているうちに芭蕉は広大な天地に満ちる「閑さ」を感じとった。本文の「佳景寂寞として」、あたりの美しい景色はただひっそりと静まりかえって、とはそういう意味です。このように「閑さ」とは現実の静けさではなく、現実のかなたに広がる天地の、いいかえると宇宙の「閑さ」なのです。梅雨の雲が吹きはらわれて夏の青空が広がるように、突然、蝉の鳴きしきる現実の向こうから深閑と静まりかえる宇宙が姿を現わしたというわけです。

 

『おくのほそ道』を読みすすめてゆくと、月(出羽三山)や太陽(酒田)や銀河(出雲崎/いずもざき)が次々に姿を現わしては去ってゆきます。「閑さや」の句はこの宇宙めぐりの旅の扉を開く一句なのです。

 

 

■『NHK 100分de名著』2013年10月号より

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