教養

古事記は鎮魂のための物語


2013.10.09

日本の歴史は、海の向こうからやってきた人、南から来た人、北から来た人、勝った人、負けた人、闇に葬られた人、いろいろな要素が混じりあって成立しました。日本最古の歴史書である古事記は、勝者がつむいだ歴史ではなく、“鎮魂”ともいえる「物語」である―そう考える立正大学文学部教授の三浦佑之(みうら・すけゆき)氏に話を聞いた。

 

*  *  *

 

古事記には反国家的、反体制的なと思えるような要素もあります。支配者の側によって編まれた日本書紀とは明らかに性格が違います。しかし、だからといって、古事記が被征服者によって作られたとも思っていません。

 

古事記はたしかに征服された者たちに心を寄せる態度を潜ませていますが、全体として見るならば、中央の歴史もきちんとなぞっています。もし被征服者が編者であったなら、このような長大な史書ではなく、自分たちにかかわる事件のみを個別の物語として語り継ぐのではないでしょうか。

 

わたし自身は、歴史物語を語り継ぎながら生きている語り部の存在を想像します。語り部には、宗教や祭祀などに携わるシャーマン的な人々もいれば、権力者に隷属して主君を言祝(ことほ)いでいる人たちもいますが、古事記の語り部は、征服者からも被征服者からも少しずつ距離を置いたところで語りをするような人たちではなかったかと想定します。

 

平安時代初期に初めて古事記の「序」を引用した多人長(おおのひとなが)という官僚がいましたが、多(おお)氏(太氏)は太安万侶(おおのやすまろ)に連なる歌舞芸能に関係の深い氏族とされていますから、彼らの存在はやはり気になります。あるいは、古事記は多氏一族に伝えられてきた史書なのかもしれません。そして、平安初期のある時に、書物の由緒を権威づけるために、日本書紀の記事を借りて、天武天皇や元明天皇の名を持ち出した「序」を追加したのかもしれません。

 

あるいは、語りをしながら遍歴する乞食者(ほかいびと)のような人たちが、古事記の伝承と成立にかかわっていたのかもしれないと考えることもあります。

 

いずれにしても、そのようにわたしが考える理由は、『平家物語』を語る琵琶法師のような人たちを想像するからです。『平家物語』を語り継いだ人たちは、負けた平氏ではありません。かといって、征服した源氏でもありません。そのどちらからも離れた周縁部の人たちです。彼らはニュートラルなスタンスで敗者の哀れを語って、世の人に受け入れられました。そうした点が、古事記のあり方、語り継がれ方によく似ている気がするのです。

 

語り部が古事記の悲劇の物語を語り継いだのは、鎮魂のためではないかとわたしは思います。征服と被征服が繰り返される社会においては、やはりなにがしか第三者的な装置によって敗者や犠牲者の魂を鎮める行為が必要なのだろうと思います。アマテラスの不肖の弟スサノヲのように、自分の国を譲らされた出雲のオホクニヌシのように、あるいは父から疎まれたヤマトタケルのように、権力に敗れた者たちの無念を昇華させるための、なんらかの鎮魂の行為が必要だったのではないかと思うのです。

 

民衆というのは、勝った者でなく負けた者のほうに心を寄せるのです。常ならぬ世に涙し、悲劇の英雄に心を寄せ、敗れ去った者たちに同情する。そういった人々の共感が、負けた者の魂を鎮めます。それこそが物語の効用であり、だからこそ、悲劇の物語は語り継がれる必要があるのではないでしょうか。勝者による公式の歴史の外側で、そうした物語が語り継がれていく必要があるのではないでしょうか。

 

日本書紀には、中央の人たちが望んだ理想としての“一つの「日本」の歴史”が記されています。これに対して、古事記に記されている歴史は「一つの日本」ではありません。いや、そもそも「日本」さえ存在しない古事記には、正統の歴史が固定化する前のもやもやとした海月(くらげ)なす歴史が映し出されているのです。そうした歴史が、いくつもいくつも語られていた、わたしは歴史というものをそのように考えています。

 

この国の歴史は、海の向こうからやってきた人、南から来た人、北から来た人、勝った人、負けた人、闇に葬られた人、いろいろな要素が混じりあって成立しました。ヤマトだけでなく、出雲にも、高志にも、筑紫にも、日向にも、沖縄にも、それぞれに雑多な“草”のような歴史が蔵されています。古事記という書物は、そうした日本人の多様性を考えるきっかけを与えてくれるように思います。

 

■『NHK 100分de名著』2013年9月号より

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