教養

老子の「無為」は「なにもしないでいること」ではない


2013.08.20

「道」と並んで重要な老子思想、「無為自然」。東京大学名誉教授の蜂屋邦夫(はちや・くにお)氏は、万物が「道」に順(したが)って生きていくのに基本となるスタンス(立ち位置、ありよう)が「無為自然」です、と解説する。

 

*  *  *

 

「無為自然」は、人間にとって「どう生きるべきか」の指標となるものです。

 

「自然」は「自(おの)ずから然(しか)り」、他からの影響を一切受けることなく、大昔からそれ自体がそのようであるさまを意味しています。「無為」はというと「なんら作為をしないこと」という意味になります。つまり「無為自然」は「なんら作為をせず、あるがままの状態」をいいます。

 

『老子』の中には、「無為」という言葉が頻繁に登場します。「無為」と「道」の関係を第三十七章で見てみましょう。

 

道(みち)は常(つね)に無為にして、而(しか)も為(な)さざる無し。

 

(道はいつでも何事も為さないでいて、しかもすべてのことを為している。)

 

 

「何事も為さないでいながら、すべてのことを為している」——まるで謎かけのようです。すこし詳しく説明しましょう。

 

「無為」という言葉は「無為無策」「無為に過ごす」のように「なにもしないでいること」という意味でよく使われますが、『老子』で使われている「無為」は「意図や作為のないさま」という意味です。これは、一切なにもしないということではなく、作為的なことはなにも行なわないことと、とらえてください。

 

では、「作為的なことはなにもしていないのに、すべてを為している」とは、どういう状態か。天地を例にして考えてみると、天や地は意思をもたないから常に「無為」の状態といえますが、無為でありながらも、その働きは常にこの世界全体に行きわたっています。季節はめぐり、太陽は大地を照らし、雲は雨を降らし、大地の上では植物や虫や動物がそれらの恩恵を受けて育っていく。つまり「なにかをしようとわざわざ考えずとも、天地はすべてのことを為している」ということになるわけです。

 

そう考えていくと、『老子』でいう「無為」とは、意図や意思、主観をすべて捨て去って、「道」(天地自然の働き)に身を任せて生きているありようを意味しているといえます。『老子』はこの「無為自然」を理想のあり方としました。

 

■『NHK 100分de名著』2013年8月号より

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