教養

ソクラテスの死がもたらしたもの


2013.07.31

アテナイ出身の風変わりな知識人として知られたソクラテスは、政治には関わらず普通の市民として生活していた。しかし、「徳」をめぐる対話により若者たちに反民主政的な思想を吹き込み、社会や文化に悪影響を与える人物として、民主政が回復した社会で次第に問題視されていく。

 

慶應義塾大学文学部教授の納富信留(のうとみ・のぶる)氏に、ソクラテスの死とその後を聞いた。

 

*  *  *

 

ソクラテスは、前399年に突如「不敬神」の罪で告発され、法廷に呼び出されます。アニュトス、メレトス、リュコンというアテナイ人三名連名の告訴状には、こうありました。「ソクラテスは、ポリスの信ずる神々を信ぜず、別の新奇な神霊(ダイモーン)のようなものを導入することのゆえに、不正を犯している。また、若者を堕落させることのゆえに、不正を犯している。」

 

「若者を堕落させる」という一文は、アテナイを混乱と敗戦に陥れたアルキビアデスや、反民主政の政治家クリティアスへの教育を暗示しています。五百名の裁判員の投票により、ソクラテスはまず「有罪」となり、罪科をめぐる二度目の投票で「死刑」が確定します。通常死刑は即日執行されるはずでしたが、たまたまアポロン神への祭が始まった日にあたり、不浄な処刑は祭の終了まで延期されました。ソクラテスはひと月後に牢獄で毒杯を仰いで死を迎えます。ソクラテス裁判に列席し死の間際まで近くで見守った弟子プラトンにとって、敬愛する師へのアテナイのこの不当な仕打ちは決定的なショックでした。

 

 

ソクラテスの死刑をめぐっては、その刑死後にも判決の正当性を主張する一派がいました。告発人となったアニュトスら、保守的な民主派の人々です。ポリュクラテスというソフィストも裁判の数年後に『ソクラテスの告発』というパンフレットを公刊して、彼の教育を厳しく批判したといわれています。

 

それに対して、ソクラテスと親しく交わった仲間たちは、彼の生き方や思想を弁護するために、ソクラテスを主人公とする著作を流布させて論陣を張ります。「ソクラテス文学」と呼ばれる著作ジャンルです。

 

プラトンもその著者の一人で、他にも兄弟子のアンティステネスや、同輩のクセノフォン、アイスキネス、パイドン、エウクレイデスらが多数の「ソクラテス対話篇」を公刊していました。彼らは互いに意識し対抗しながら、ソクラテスの哲学や生き方の素晴らしさを公にする著述活動をつづけました。プラトンが執筆した三十あまりの「対話篇」では、最晩年の『法律』を除いて、いつもソクラテスが対話を主導するか、そうでなくても登場人物として対話を見守っています。

 

クセノフォンにも、四つの「ソクラテス対話篇」が現在まで残っています。『ソクラテスの想い出』『ソクラテスの弁明』『家政論』『饗宴』です。このうち『饗宴』は、プラトンの同名作品と似た設定で、カリアス邸での「シュンポシオン」を舞台にして、ソクラテスやアンティステネスらが議論を展開する華やかな作品です。

 

クセノフォンはソクラテス裁判の当時にはアジアへの遠征の帰路にあり、アテナイを離れていました。そのため、裁判の事情やその折のソクラテスの言動については、仲間のヘルモゲネスから情報を得たことを断って、『ソクラテスの弁明』という小品を著しました。それはプラトンの『ソクラテスの弁明』という同名作品を意識したものと推定されていますが、ソクラテス裁判の真相をめぐっては、弟子たちを中心にいくつかの著作が発表されて論議の対象となっていたのです。プラトンの有名な『ソクラテスの弁明』も、けっしてソクラテスが裁判の場で言った言葉をそのまま記録した報告ではなく、しばらく後に「哲学」として再構成された、いわば“真実の創作”です。

 

■『NHK 100分de名著』2013年7月号より

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