教養

自然と文明──トルストイにおける「コサック」


2013.06.30

トルストイは生涯を通じて変化し、進化した人物だが、「自然」を大切にすることに関しては一貫していたという。

 

ロシア文学者で東京大学名誉教授の川端香男里(かわばた・かおり)氏は、トルストイにとっては「自然こそ本物であって、その対極にある人工、文化、文明には何か偽りの真実でないものが潜んでいると疑うのです」と語っている。

 

川端氏にトルストイの自然観と文明観を聞いた。

 

*  *  *

 

トルストイの文学生活前期(1851〜1862)最後のそして最高の文学作品は、コーカサスを舞台とした小説『コサック』ですが、この小説の主人公オレーニンは大学を中退し、二十四歳になるまで何の職業にもついたことがなく、財産の半分を浪費してしまった青年貴族で、まさにトルストイの自画像です。

 

オレーニンは首都の友人たちに手紙を書きます──「ああ、君たちはみな、なんというけがらわしい、みじめな人たちだ! 君たちは幸福とは何か、人生とは何かということを知らない。人は一度はぜひとも、生というものをその自然のままの美しさで経験してみなければならない。僕が毎日眼の前に見ているもの──永遠にして近づきがたい山々の雪や、創造主の手を離れたばかりの最初の女が持っていたに違いない原始的な美を今なお保っている偉大なる女性を、見かつ理解しなければならない。その時こそ君には、自ら滅ぼすものはだれであるか、真実に生きる者、虚偽に生きる者はだれであるか──君らか僕かということが、はじめて明らかになるだろう……幸福とは自然とともにあること、自然を見ること、自然と語ることだ……」

 

そしてオレーニンはコサックの娘マリャーナを、彼女が「自然」に似ているという理由で恋するのです。

 

自然と文明を対比させる思考方法はトルストイがルソーから学んだものですが、その時期はトルストイのコサック村滞在から小説『コサック』執筆開始の時と一致します。自由なコサックの生き方を全人類の新しいモラルとしてふさわしいと考え、コサックの教育に対する考え方の延長線上で、ヤースナヤ・ポリャーナの小学校での教育実践を考えるというその後の方向を見ると、コサック体験とルソーの影響がいかに互いに密接に働きあっているかということが分かります。

 

「自然」に立脚して「文明」の人工性・不自然性を批判するという点でルソーとトルストイはきわめてよく似た立場に立っていますが、立脚している「自然」の概念がフランス18世紀とトルストイではかなり異なっているということを知っておく必要があります。

 

ルソーそして多くの啓蒙思想家にとっての自然は、文明に汚されない素朴な原始人を理想化したいわゆるnoble savage, bon sauvage(高貴な野蛮人、善良な野蛮人)とつながりがあり、当時のさまざまな旅行記・見聞録などによって得られた資料で形象化され理想化されたもので、いわば一種のユートピア概念でした。

 

しかしトルストイは自然を、コサックの自由民、農民の子供たち、ロシア農民=ナロードの中に“具体的に”見ようとしたのです。トルストイは彼らに生理的愛着を感じ、彼らがよって生きている価値を自分の倫理の中核に置き、彼らの現実の生き方の中に「善」を見出そうとしたのです。トルストイは、労働を尊び、簡素な農民的生活を行うことをオプロシチェーニエ(簡素な生活を送ること)と呼びましたが、これこそいわゆるトルストイ主義の根本原理なのです。

 

■『NHK 100分de名著』2013年6月号より

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