教養

『戦争と平和』が生まれるまで 作家トルストイの道程


2013.06.23

「トルストイは、ロシア文壇とは一定の距離をおいていました。だからと言って同時代の文学動向に関心がないわけではありません」──そう語るのは、ロシア文学者で東京大学名誉教授の川端香男里(かわばた・かおり)氏だ。

 

川端氏に作家トルストイの道程を聞いた。

 

*  *  *

 

晩年になるとトルストイはいわゆる「トルストイ主義」と言われる独自の考え方を構築して、それまでに書いた自分の作品に対しても厳しく批判するようになりましたが、1890年にロシア文学史上の大作家とはと質問されて、「プーシキン、ゴーゴリ、レールモントフ、ゲルツェン、ドストエフスキイ、そして私。人によってはツルゲーネフを挙げる人もいるかもしれない」。「そして私」と言うトルストイは何かほほえましい感じがします。

 

十歳年上のツルゲーネフとは地主貴族として付き合いが深かっただけ、二人はよく喧嘩をしました。七歳上のドストエフスキイとは出会う機会はありませんでしたが、たがいによく理解していました。トルストイが家出した時に娘アレクサンドラにもって来させた本の中に『カラマーゾフの兄弟』がありました。

 

ここで、トルストイのプロフィールについて触れておきましょう。レフ・ニコラエヴィチ・トルストイは、1828年8月28日、モスクワから200キロほど南方に位置するヤースナヤ・ポリャーナという土地に広大な荘園を所有する、トルストイ伯爵家の四男として生まれました。トルストイは父方から見ても母方から見ても由緒正しい貴族で、自分が貴族の出であることを一生誇りにしていました。

 

トルストイが8歳の時、兄ニコライとセルゲイの勉強のために一家でモスクワに引っ越しますが、ほどなく父ニコライが急死。1846年の夏休みに、後見人の管理下にあった遺産を兄弟の間で分割することが協議され、47年トルストイは両親が暮らしていたヤースナヤ・ポリャーナの領地と230人の農奴を相続することになりました。同年、トルストイは大学を退学、ヤースナヤ・ポリャーナの領地に戻り、自らの勉学と農村経営の仕事にあたることを決意します。

 

トルストイが文壇の注目を浴びたのは比較的早い時期です。1852年にプーシキンが創刊しネクラーソフが引き継いだ雑誌「同時代人」に、L.N.のイニシアルで『幼年時代』を発表して評判になります。トルストイはこの小説を書いていることをタチヤーナ・ヨールゴリスカヤおばさんに報告していますが、おばさんは「何語で書いているの?」とたずねています。つまりロシア語で書いたのか、フランス語かと聞いているわけですが、これが当時の貴族の感覚なのです。ちなみにこの手紙のやりとりはフランス語でされています。

 

ツルゲーネフはこの作品を激賞し、シベリア流刑中だったドストエフスキイは友人への手紙の中で、このL.N.は誰なのか教えてくれと言っています。

 

この頃のトルストイは、振幅の大きい生活にあけくれていました。自由奔放さの反面厳しい自己反省を繰り返す。青年期のトルストイには「突然」とか「だしぬけの」という形容詞で表現される行動が多いのです。外交官になりたいという希望をもってロシアの東方経営の拠点だったカザン大学の東洋学部に入りますが挫折します。

 

大学では完全なドロップアウト。ギャンブルに熱中して多額の借金を作る始末。人並みすぐれた頭脳の持ち主が劣等生になってしまったのはなぜでしょうか。トルストイは「私は本当の勉強をしようと思った。だから大学を辞めた」と言っています。

 

トルストイの場合、地主貴族でしたから、財産分与を受けて窮屈な大学生活に別れを告げて自立することができました。模範的な地主をめざし千人もの農奴を抱える領地経営を試み、ついで農民のための教育に専念しますが、いずれも失敗してしまいます。

 

何をすればよいのか分からず、トルストイは4年近く迷走しつづけるのです。作家になりたいと考えると同時に、それとは全く関係なく「突然」コーカサス(ロシア風にいえばカフカース)に行きます。そこで思いがけず自由なコサックの生き方に魅力を感じます。コーカサスは19世紀に入ってロシア帝国の版図になりましたが、この地域のイスラム教を奉ずる山岳民族は頑強な抵抗を続けていました。この戦争は今日のチェチェン紛争まで続く長い歴史をもっています。

 

トルストイは義勇兵として戦い、やがて正式に軍隊に入ります。

 

こうして戦火の中で文学活動を始めることになります。

 

■『NHK 100分de名著』2013年6月号より

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