教養

『幼年期の終わり』冒頭の衝撃的なヴィジョン


2020.03.27

『幼年期の終わり』は、人類の“メタモルフォーゼ”、地球外文明の存在、ファーストコンタクト、超能力、群体知能といった、多くのSFテーマを含んだ本格長編です。冒頭の衝撃的なヴィジョンは後のSF小説に多大な影響を与え、映画やドラマでもクラークの描いたシーンを下敷きとしている表現が数多く見られます。クラークはどこに着想を得て、このヴィジョンを書いたのでしょうか。作家の瀬名秀明(せな・ひであき)さんが解説します。

 

*  *  *

 

物語は、「地球とオーヴァーロードたち」「黄金期」「最後の世代」の三部で構成されています。第1部は、後年の版で加筆された火星探査ミッションの短いエピソードで幕を開けた後、ニューヨークの国連本部へと場面が移ります。そこでは、国連事務総長ストルムグレンが、自由連盟(フリーダム・リーグ)という集団のリーダー、ウェインライトがやってくるのを待っている。自由連盟は「世界連邦化計画」に反対する団体で、支持者たちが国連ビルを囲んでデモを繰り広げています。

 

まるでこびとが巨人を威嚇(いかく)するように、無数の拳は、彼の頭上五十キロの空に─“最高君主(オーヴアーロード)”の宇宙艦隊の、銀色に輝く雲に似た旗艦に怒りを投げつけていた。

 

『幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)』 池田 真紀子訳(以下同)

 

国連ビルの上空には宇宙艦隊が浮かんでいるのです。オーヴァーロードの船団を率いているのは、カレラン総督なる異星人でした。その後に続く二人の対話から、カレランとじかに言葉を交わした地球人は、これまで事務総長ストルムグレンただ一人であるとわかります。ところが、そのストルムグレンですら、いままでカレランの姿をはっきり見たことがないようです。

 

イメージの源泉

 

何と五年前、地球上空のあちこちに巨大な宇宙船が突如として現れて滞空する状況に陥っていた─という驚愕の事実が、読者に明らかにされます。

 

彼らにとってはごく小規模な事業にすぎないのだろうが、地球にとっては経験したことのない大きな出来事だった。いっさいの予兆もないまま、まるで地上に雨が降り注ぐように、宇宙の果てから巨大な宇宙船の群れがやってきたのだ。(中略)ありとあらゆる大地の空にきらめきを放ちながら無音で浮かぶ物体は、人類が数百年かけても到達しえない高度な科学を象徴していた。初めの六日間、それらは世界中の都市の上空にただ浮かんでいた──人類の存在を認識している気配をいっさい示さないまま。だが、そのようなそぶりをことさら示す必要はなかった。巨大な船がそれぞれニューヨーク、ロンドン、パリ、モスクワ、ローマ、ケープタウン、東京、キャンベラといった大都市の真上で停まったのが、単なる偶然であるはずがない。

 

衝撃のヴィジョンです。一度読んだら忘れられない。

 

実際、このヴィジョンはのちのSF作品に計り知れないほどの影響を与え、何度も引用されることになります。映像作品だけ取っても、1980年代に大ヒットした海外ドラマ『V』の冒頭部分は本作にそっくりですし、他にも映画『インデペンデンス・デイ』、『世界侵略:ロサンゼルス決戦』、また現代SFの旗手テッド・チャンの短編「あなたの人生の物語」を原作とした『メッセージ』など、クラークが『幼年期の終わり』で描いた冒頭のシーンは、ぼくたちの心に決定的なイメージを刻みつけました。

 

キリスト教には、圧倒的なヴィジョンを散文や詩で示す文化があります。たとえば『旧約聖書』「創世記」に記される「ノアの方舟」のように、人類が後戻りできないような状況に置かれる圧倒的なヴィジョンです。第1回では、ジョン・バニヤンの『天路歴程』に見られるイギリスのキリスト教文学の伝統を挙げました。『幼年期の終わり』の冒頭シーンもその系譜に連なるように思います。

 

いったいクラークはどこからこのヴィジョンを得たのでしょうか。彼がのちに新版刊行のために書き下ろした「まえがき」(1989年執筆。光文社古典新訳文庫版に訳出)を初めて読んだとき、その意外性にぼくはあっと驚きました。このエッセイでクラークは、戦時中の1941年夏、夕暮れ時に知人の車でロンドンに向かう途中で偶然目にしたこんな光景を回顧していたのです。

 

何十もの──いや、何百もの鈍い輝きを帯びた銀色の防空気球がロンドン上空に浮かんでいた。その寸詰まりの魚雷を思わせる物体は夕陽の最後の光を跳ね返してきらめき、その様はさながらロンドン上空で待機する宇宙船団だった。

 

読んだ瞬間、ぼくにもありありと目に浮かぶ気がしました。クラークはこの体験から宇宙艦隊のシーンを発想していたのです。1941年のロンドン上空に浮かんでいた防空気球の群れは、人間の技術の産物、しかも戦争のために開発されたものにほかなりません。ところが、夕陽に照らされたその光景を目の当たりにして、クラークは戦争のことも忘れ、「これまで見たことのないすごい光景を見ているのだ」という、いいようのない感動を覚えている。何か崇高な念にさえ駆られるクラークの想いが、この短文からはびりびりと伝わってくるのです。

 

軍事産物でさえ大自然の夕焼けに染まった姿は美しい。戦争が人殺しの行為であること、市民が空襲の恐怖に晒されていること、頭のなかではそうしたことがわかっていても、なお目の前の光景は神が顕現(けんげん)したかのように美しい。SF作家が描くこうしたヴィジョンにぼくは感銘を受けます。

 

■『NHK100分de名著 アーサー・C・クラーク スペシャル』より

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