教養

「言葉の力」を考え続けた人、ハヴェル


2020.03.13

写真:PPS通信社

戯曲家でありながら、ディシデント(反体制派/異論派)として社会主義体制下にあったチェコスロヴァキアの体制転換を担い、大統領に就任したヴァーツラフ・ハヴェル。チェコ文学者、東京大学准教授の阿部賢一(あべ・けんいち)さんが、ハヴェルの「言葉」について考察します。

 

*  *  *

 

私が初めてハヴェルの文章に触れたのは、1990年代初頭、日本語でも多くの翻訳が出始めた頃のことです。当時ハヴェルは、ドイツのヴァイツゼッカー大統領と並んで「哲人大統領」と評され、冷戦終結後の混沌とした時代に光を照らす存在として注目されていました。しかし、ハヴェルの文章を読んだ私は、ある種の戸惑いを覚えました。そこにあった言葉が、それまで私が見聞きしていた政治家が発する言葉とは、まったく異質なものだったからです。

 

まず、身近でありながらも、政治の世界ではあまり聞くことのない語彙、具体的には「真実」「倫理」「人間性」「愛」といった表現が多用されていたことです。それから、このような語彙だけではなく、ハヴェルの言葉には、ある種の「ためらい」が感じられました。それは、断言することの「ためらい」、約束することの「ためらい」です。それは、私たちがよく耳にする「ワンフレーズ・ポリティクス」とは正反対に位置する思考手順でした。一つの事柄を徹底的に探求しようとするその姿勢は、時に読者や聞き手を置いていくことがあります。

 

ハヴェルは明言を避けるかわりに、問いを投げかけます。実は、『力なき者たちの力』の結びの一文も「どうなのだろうか?」という問いかけで終わっています。かれの問いかけを受け止めるか流すかは、受け取る側の問題です。しかし、かれの言葉に引っかかった者は、考える機会をみずから設けることになります。それが、哲学的と形容される所以(ゆえん)でもあるでしょう。

 

哲学的、不条理的と評されることの多いハヴェルの文章ですが、数年後、プラハに留学し、ハヴェルが1960年代に残した視覚的な詩を目にした時、また印象が変わりました。それは、タイプライターでさまざまなレイアウトを駆使して描かれたもので、言葉が自由に解き放たれ、自在に紙面を飛び回っているかのようでした。言語表現の柔軟さ、ユーモアと機知に富む表現の奥深さを感じ、戯曲、エッセイとともに、巧みな表現者としても改めて意識するようになったのです。

 

1999年、全七巻のハヴェルの全集(補遺の第八巻は2007年刊行)がチェコで刊行されたことが、ひとつの転機となりました。それまで断片的にしか見えていなかったハヴェルのイメージが少しずつ繫がり、ヴァーツラフ・ハヴェルという立体的な書き手の姿が見えてきたのです。そして何より、戯曲家と政治家という二つの顔は、実は一つに繫がっているのではないかという感覚を覚えました。その両方の領域の結節点とも言うべき文章が、この『力なき者たちの力』だとようやく感じるようになったのです。

 

ハヴェルはこの本を通して、「力」の構造だけではなく、「力」をつくる「言葉」についても考察をしています。例えば、これまで見てきたように「オポジション」「ディシデント」の言葉の意味についての考察が綿密になされており、また合法性をめぐる法律の議論では、次のように述べています。

 

儀式、ファサード、「口実」が担う役割がもっとも雄弁に現れているのは、市民が何をしてはいけないかと記したり、起訴の根拠について記された法秩序の箇所ではなく、市民は何ができ、どういう権利があるのかが記されている箇所である。そこにあるのは、まさに「言葉、言葉、言葉」しかない。この箇所もまた、体制の側から見るときわめて重要である。市民を前にして、学校にいる児童を前にして、国際社会を前にして、歴史を前にして、体制はその総体としての合法性をそこに根拠付けているからである。

 

法律は言葉であり、法律の言葉に則ってハヴェルたちは「憲章七七」の活動をし、体制側は法律を使ってプラスチック・ピープルを逮捕します。青果店店主のスローガンの例も、当然ですが、言葉の力を検討したものであり、スローガンの言葉を置かないことがむしろ「真実の生」を導く「力」を引き起こすことにもなっていました。

 

「噓の生」を覆い隠すカバーは、奇妙な素材からできている。社会全体を密閉しているあいだは、石のように頑丈である。だが、誰かが一箇所でも穴を開けた途端、たった一人が「王さまは裸だ!」と叫んだ瞬間、たった一人のプレイヤーがゲームの規則を破って、それがゲームにすぎないことを暴くやいなや、別の光がありとあらゆるものを照らし出し、カバーはじつは紙でできていて、耐えきれずに破れ、崩れはじめるのではないかという印象を与えることになる。

 

このように考えると、この本には「言葉の力」をめぐる考察の書という側面もあるのかもしれません。ハヴェルは、戯曲、詩、評論といったさまざまなジャンルを通して表現を行なってきました。そこには、実験的に言葉のイメージを探求する詩もあれば、言語コミュニケーションの不条理な世界を描いた戯曲もあります。そして、牢獄から妻オルガにあてた書簡集は、書簡文学とも、哲学的瞑想とも捉えることができます。さらには、政治的な主題を扱う一連の公開書簡、エッセイなどもあります。

 

■『NHK100分de名著 ヴァーツラフ・ハヴェル 力なき者たちの力』より

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