教養

西田幾多郎が哲学の道を行く必然とは


2019.11.11

なぜ西田幾多郎(にしだ・きたろう)は、独自の哲学の道を歩まねばならなかったのでしょうか。批評家、東京工業大学教授の若松英輔(わかまつ・えいすけ)さんが、その背景をひもときます。

 

  •  *  *

 

彼は数学的才能に恵まれていました。数学者の道に進む可能性もあったのです。事実、彼が生涯の師とした北條時敬(ほうじょう・ときゆき)は、数学者になることを西田にすすめます。

 

しかし、西田には哲学の道を行く必然がありました。彼には哲学を通じてしか明らかにすることのできない根本的な「問い」があったのです。

 

1907年、『善の研究』が刊行される四年前に書かれた「我が子の死」と題する文章にその「問い」を考える鍵となる一節があります。

 

ゲーテがその子を失った時“Over the dead”[死をのりこえて]というて仕事を続けたというが、ゲーテにしてこの語をなした心の中には、固(もと)より仰ぐべき偉大なるものがあったでもあろう。しかし人間の仕事は人情ということを

離れて外(ほか)に目的があるのではない、学問も事業も究竟(くっきょう)の目的は人情のためにするのである

(『西田幾多郎随筆集』岩波文庫、下線は著者)

 

この一節は、西田が次女幽子を喪(うしな)ったときに書かれたものです。ここで西田は、学問もさまざまな営みも、究極的には「人情」のためにする、と述べています。

 

ここでの「人情」は、単に情け深いということを意味するのではありません。それは人間の心の不思議と置き換えることができるのではないかと思います。

 

人間の心の不思議、心の謎とは何か。これが西田の根本的な「問い」であり、この心の不思議をまざまざと経験することが西田にとっての哲学の「目的」だったのです。

 

彼にとって「哲学」とは専門家がものごとを考えるための道具ではなく、市井(しせい)の人が人生と深く交わるためのものであり、そういった哲学を生み出したかったのです。

 

その証(あか)しに『善の研究』は、出版されたばかりのとき(1911年)はさほど広く手に取られなかったものの、戦後に岩波書店が再刊したときに大変広い波及力をもって、人々の手に取られ、心に入っていきます。1947(昭和22)年の『西田幾多郎全集』第一巻発売時には、3日前から書店の前に列ができ、前夜にはおよそ200人が行列を作ったといいます。

 

当時の「渇望」とは、物を多く知りたい、よく知りたい、時流に乗りたいなどということではありません。戦後2年しか経過していない、まだ、混乱が終わっていない時代です。しかし、食べ物がまったくないという時代ではありませんでした。こうしたとき、人々は、自分たちが飢(う)えていたのが身体だけではなく、心もまた飢えていたことに気がつくのです。飢えた人が食べ物を求めるように叡智を求めた。そんな時代が、70年ほど前にはあったのです。

 

哲学には、歴史哲学、宗教哲学、芸術哲学、臨床哲学、教育哲学、環境哲学など、さまざまな領域があります。西田の哲学は、これらの領域にも関係しますが、どれか一つで語り切れるものでもありません。西田幾多郎という一個の人間によって生み出された、ほかの誰の哲学にも似ていない、たいへん独自性の強い哲学です。後世の人はそれを「西田哲学」と呼ぶようになります。

 

■『NHK100分de名著 西田幾多郎 善の研究』より

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