教養

何度でも出会える作家、夏目漱石


2019.03.23

『100分de名著』2019年3月号は夏目漱石スペシャル。東京大学教授の阿部公彦(あべ・まさひこ)さんが、『三四郎』『夢十夜』『道草』『明暗』の4作品を通じ、漱石との“出会い”をガイドしてくれます。

 

*  *  *

 

夏目漱石は食いしん坊でした。甘いものやこってりしたものが大好き。ステーキの味を覚えたのはロンドン留学の間でしょうか。お菓子にも目がなく、ジャムを舐(な)めるのも大好き。お腹に悪いから食べ過ぎないように、と鏡子夫人は戸棚の奥に菓子類を隠したそうです。美食というより、B 級グルメといったほうがいいかもしれません。

 

実は、漱石のこんな「食べっぷり」は、彼の作品を読むヒントにもなると私は思っています。文は人なりと言ったりしますが、人間というものは思わぬところで性格が出たり、特徴ある行動パターンを示したりする。だから、食べっぷりと書きっぷりが似ることもある。体の動きが俊敏な人は、考えるときも俊敏かもしれない。病気を抱えた人なら、その病気に応じた頭の使い方や、文章の書き方をしてもおかしくない。食いしん坊は食いしん坊らしい小説を、胃弱の人は「胃弱な小説」を書くかもしれないのです。

 

漱石の小説家としてのデビュー作となったのは『吾輩は猫である』でした。設定からして、とにかく楽しい作品です。出版物としても人気で、よく売れた。漱石にはエンターテイナーとしての天性の才能があったのでしょう。当時のトップエリートとしての道を歩んだはずの彼が、通俗的にアピールする力を備えていたというのはおもしろい。「B級」の感性のおかげかもしれません。

 

しかし、売れる作家としてデビューしたことは、漱石にとっては重荷にもなった。一度売れてしまった人は、つねに「売れねばならない」という期待を背負いがちだからです。おもしろおかしく書くことができる 才能があっても、そう書かねばとなれば縛りになる。漱石の作品を読むと、「B 級」の匂いが強くすることがあります。そこは漱石の大事な魅力の一部。しかし、同時におもしろいのは、漱石がそうした「B級」性に安住せずに外に出ようとしたとき、とても創造的にもなったということです。彼は作家として、つねに挑戦的な人でした。読者に喜んでもらうことも大事だったでしょうが、譲れない部分もあった。漱石の魅力を味わうにはこうした機微に注目する必要があるでしょう。そんなことを頭に入れながら、あらためて漱石という作家に向きあってみたいと思います。

 

現代人にとっては、漱石はきちんと「出会う」のが難しい作家です。私たちが小説を読もうとすると、いろいろ邪魔が入ります。たとえば作家の名前。「これは夏目漱石の書いた小説です」と言われれば、私たちはその作品を読んでもいないのに読んだような錯覚に陥ったり、あらすじだけで何かをわかった気になったりする。とりわけ『三四郎』や『道草』など、漱石の代表作とされる作品を前にすると、「未読であるのは恥ずかしい」、「古典的名著なのだから、私は感動すべきだ」と、自らを不自由な暗示にかけたりもします。文学を重要視するマジメな人ほど、その傾向が強まる。作家の名前による先入観から、予断を持ってしまうのです。

 

では、作品と本当に「出会う」にはどうしたらいいのでしょう。

 

小説を読むというのは、全身的な行為だと私は思っています。頭や感情ももちろん関係する。しかし、体も忘れてはいけない。胃腸や、呼吸や、背骨も大事。感触を味わい、文章のリズムに身を委ねたい。笑ったり、ツッコミをいれたり、顔をしかめたり。場合によってはぜえぜえあえいだり、踊り出したり、地団駄踏んだり。

 

そんな出会い方をするためのヒントを、以下の四つの回で示していきたいと思います。そのために、みなさんにずんずん歩く心地や、胃腸の気持ち悪い感じを想像してもらうこともある。「真相究明するぞ」とばかりに目を剥いてもらうこともあるかもしれない。漱石はそんなふうに全身を使って読むに値する作家なのです。

 

おそらく何歳のときに読むかによって、漱石から受ける印象は異なるでしょう。若いころのほうが直観的にわかる部分もある反面、歳をとってからでないとわからない微妙な部分もある。ひとつの作品を同じ人間が読んでも、時期によって見える顔が違うのです。私自身、高校生のときに読んだ漱石と、今読む漱石はかなり違う。だから何度でも読める、何度でも出会える作家なのです。一粒で二度、三度とおいしい。

 

■『NHK100分de名著 夏目漱石スペシャル』より

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