教養

十七音で「写生」をするということ


2019.03.11

俳句で言う「写生」とはどのようなものなのでしょうか。「天為」「秀」同人の岸本尚毅(きしもと・なおき)さんが、「椿」の名句を引きながら解説します。

 

*  *  *

 

俳句ではよく「写生」と言います。しかし俳句にはわずか十七音しかない。この絶望的な事実をどう考えたらよいのでしょうか。

 

ここで発想を切り替えましょう。作者の力には限度があります。頑張って言葉を並べても、十七音で言えることはたかが知れています。むしろ読者の力(想像力)を借りることが肝要です。作者が気負って俳句に無理をさせるのではなく、読者の想像を促すように言葉を使う。そこに写生の要諦があります。

 

落椿を飛ぶ時長き蛙かな

原 石鼎(はら・せきてい)

 

想像してみましょう、蛙が落椿を跳び越える瞬間の姿を。跳躍して伸びきった蛙の四肢の長さを。このような蛙のイメージは読者の頭の中にあります。「落椿を飛ぶ時長き蛙かな」という言葉の塊は、作者が得た情報を読者に伝送するためのものではありません。そうではなく、読者の記憶の中に眠っている「跳躍する蛙のイメージ」を呼び出すきっかけでしかないのです。

 

写生とは、読者の中に眠っている記憶に働きかけるための言葉の使い方だと言ってもよいのです。

 

咲く日数英(はなぶさ)焦げし椿かな

大橋菊太

 

日数を経た椿の花の蕊(しべ)が、蝕まれたように変色している。それを「焦げし」と言いました。〈南縁の焦げんばかりの菊日和 松本たかし〉という句があります。陽光に変色する物の姿を思い起こす上で「焦げる」という言葉が有効です。

 

尾を引いておつる椿や花ぐもり

飯島みさ子(いいじま・みさこ)

 

この句は虚子選『ホトトギス雑詠選集』に「花曇」という季語の句として入集しています。「花ぐもり」の「花」は桜です。桜の咲く頃の曇った日に、尾を引くように椿の花が虚空を落ちて行った。背後に桜を感じながら、句の焦点は落下する椿の花にあります。

 

微妙な、少し不思議な感じのする句です。どことなく淋しげです。作者は幼時の病のため生涯四肢不自由でした。24歳で病死。このような事情は俳句の上には一切表れていません。しかし「尾を引いて」「おつる椿」「花ぐもり」といった言葉に触れた読者は、作者の境涯を知らずとも、この句から何やら仄暗い感情を感得することでしょう。それは「翳り」「名残「諦め」のようなものだと思います。大正十二年、作者の没年の句です。

 

■『NHK俳句』2019年3月号より

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