教養

「死者の忘却」が民主主義を危うくする


2019.03.08

オルテガは過去から受け継がれてきた人間の英知や、自分とは異なる考え方を持つ人を受け入れる寛容さを「リベラリズム」と定義し、それを身に付けている人を「貴族」と表現しました。これは「大衆」の対極にある存在です。「貴族的精神」が大衆社会の中でどんどん失われていると考えたオルテガは、そのことによって民主制そのものが非常に危うい状況になっていると指摘しました。この問題を考えるときにオルテガが重視したのが、「死者の存在」です。評論家で東京工業大学教授の中島岳志(なかじま・たけし)さんが、『大衆の反逆』から該当箇所を引いて解説します。

 

*  *  *

 

オルテガは、リベラリズムに基づいたデモクラシーを徹底して擁護した人物です。そして、その実現のために彼が重要視したのが、「生きている死者」の存在です。独特の言い回しですが、私が昔からとても好きな言葉でもあります。

 

われわれ現代の人間は、突然、地上にただひとり残されたと、つまり、死者たちは死んだふりをしているのではなく、完全に死んでいるのだ、もうわれわれを助けてはくれない、と感ずる。伝統的な精神は蒸発してしまった。手本とか規範とか規準はわれわれの役にたたない。過去の積極的な協同なしに、われわれは自分の問題──芸術であれ、科学であれ、政治であれ──を、まさに現代の時点で解決しなければならない。すぐ隣に生きている死者もなく、ヨーロッパ人は孤独である。

 

ここでオルテガが言っているのは、人間は二度死ぬということ。つまり、単に心肺停止によって死ぬだけではなく、忘却によって真の死を迎えるというのです。そして、それまでヨーロッパ社会の秩序を支えてきたのは、「生きている死者」とともに歩むという感覚だった。死者は身体が失われたあとも私たちのそばにいて、この世の中を支えてくれていると考えられていたのですね。

 

そうした感覚が共有されていれば、社会で多数派を占めているからといって、その人たちが勝手に何でも決めたり、変えたりしていいということにはなりません。過去の英知や失敗の蓄積の上に現在があるのだから、いま生きている人間だけによって、既存のとり決めを何でもかんでも変えていいわけがない。いくら多数決が民主制の基本とはいえ、そうした「限界」はもっていなくてはならない。

 

ところがそんなことはお構いなしに、革命なるものが次々に起き、歴史的に構成されてきた世界を改変しようとしているとオルテガは感じていました。それが彼の言う「超民主主義」ですが、そうした過去からの教訓や制約に拘束されない民主制は非常に危うい、過去と協同せず、現在の多数派の欲望だけから解決策を求めようとすると必ず間違える、というのが彼の考えだったのです。

 

これは、立憲主義と密接にかかわる考え方だと思います。簡単に言えば、いかにいま生きている人間の多数派が支持しようとも、してはいけないとり決めがあるというのが立憲主義の考え方なのですが、そのことをオルテガは踏まえている。そして、現代が死者を忘却してきたことが、民主制の危うさにつながっていると指摘するのです。

 

■『NHK100分de名著 オルテガ 大衆の反逆』より

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