教養

スピノザの概念が現代社会の問題点を理解するヒントに


2019.01.23

いまAI(人工知能)が大変なブームになっています。AIが進化して人間に近づき、それによって人間は仕事を奪われてしまうかもしれないなどとも議論されています。しかし、哲学者で東京工業大学教授の國分功一郎(こくぶん・こういちろう)さんは、「このような議論は非常に大袈裟なものだと思います」と話します。

 

*  *  *

 

まずAIと呼ばれているものが、本当に知性(ここでは「知能」ではなく「知性」という言い回しを使いたいと思います)に到達しているのか、そもそも到達しようとしているのかという疑問があります。

 

先日、AIを用いることで、これまで厖大な時間がかかっていた保育園入所者の選考が数秒で完了したというニュースがありました。これはとてもすばらしいことで、このような技術活用は積極的に進めればよいと思いますが、果たしてこれは知性が行ったことでしょうか。これは単に一定のアルゴリズムで大量の情報を処理しただけです。飛躍的に発達した計算機による仕事です。知性とは関係ありません。

 

人間の知性の重要な機能に想像力があります。イマジネーションです。しばしばAIの限界として創造性、すなわちクリエイティヴィティが挙げられます。人間のような創造行為は行えないだろうというわけですが、私はそれよりも想像力の方がAIには難しいと思います。

 

適当に情報を組み合わせるだけでも何かを作り出す、つまり創造することはできますが、想像力には他者感覚が必要です。他者感覚とは相手が自分と同じような存在であるという感覚ですが、そもそもAIには「自分」がないので、他者感覚を持ちえません。

 

そもそも「自分」を持つとはどういうことでしょうか。哲学はそれについてかなり考えてきました。しかし「こうすれば自分を持つことができる」という理論は確定していません。理論が確定していないのだから、人間がそれをAIに搭載させることもできません。それが搭載できる条件がよく分かっていないのです。するとAI開発は、まだ人間の知性に到達しようとすらしていないことになります。というのも、到達地点が分かっていないからです。

 

自分がなく他者感覚もありませんから、AIは欲望を持つことができません。スピノザは人間の本質を欲望に見ていました。欲望がないということはコナトゥスもないということです。そのような存在にはとても人間の代わりは務まりません。せいぜい大量の情報を人間よりも格段に早く処理することができるだけです。その意味で、チェスや囲碁・将棋などのゲームでAIが人間に勝つのは、特に驚くようなことではないようにも思います。

 

そもそも身体がないAIが人間に近づくことなどできるのでしょうか。私たちは「身体が何をなしうるか」すら分かっていないし、それは精神についても同様でした。そのような身体と精神を持つ存在にAIが近づくと言われる時、いったいどのような事態が想定されているのか。実際には漠然と、曖昧に、抽象的にそのようなことが言われているだけでしょう。

 

誤解しないでいただきたいのですが、私はAI開発を批判したいのではありません。むしろその発展を心から楽しみにしています。ただ、いまのブームがAIを誤解あるいは過大評価していること、そしてせっかくAIが注目を集めているというのに、人間の知性の特性を理解しようとする傾向がいっこうに強まらないことに違和感を抱いているのです。

 

スピノザは精神と身体の関係について徹底して考えた哲学者です。現代の脳神経科学や医学からもスピノザの主張の正しさが証明されつつあります。スピノザはAIを考える上でも参考になるはずです。それは結局、人間について考えることに帰着するでしょう。というのも、人間について、まだあまりにも多くのことが分かっていないからです。

 

ただ、AIブームの裏にはAIに対する知的好奇心だけでなく、いつか私たちがAIに追い越されてしまうのではないかという恐怖心があるのかもしれません。この点について、私はすこし別のところに危惧を抱いています。それはAIが人間に近づくことではなくて、人間がAIに近づくことです。

 

月並みな指摘になってしまいますが、現代社会はマニュアル化が進み、人間そのものが一つのアルゴリズムのように扱われています。一定の情報をインプットすると、演算結果をアウトプットしてくれる存在というわけです。アルゴリズムのように扱われるということは、いくらでも取り替えがきく存在として扱われることを意味します。実際にそうなりつつあります。そこでは労働を経ながら、労働者の主体がすこしずつ変容するというプロセスは無視されてしまいます。「熟練」という言葉は死語になりつつあります。

 

またマニュアル化は徹底されていて、現在では接客業における情動レベルにまでそれが浸透しています。たとえばどんな場合にどんな風に笑いなさいということまで決められています。社会が人間に「アルゴリズムになりなさい」と命じているような状態です。そのような労働を強いられている人たちであれば、自分たちの仕事がAIに取って代わられるかもしれないと無意識に危惧を抱いても不思議ではありません。

 

スピノザ哲学を使ってそのような状態を変革する解決策がすぐに提示できるわけではありません。しかし、これまでに勉強してきたスピノザのさまざまな概念、すなわち、組み合わせとしての善悪、力としての本質、必然性としての自由、力の表現としての能動、主体の変容をもたらす真理の獲得、認識する力の認識……、これらの概念を知るだけでも、この社会の問題点を理解するヒントにはなるはずです。

 

現代社会は、近代の選択した方向性の矛盾が飽和点に達しつつある社会だと思います。そんな社会を生きる私たちにとって、選択されなかったもうひとつの近代の思想であるスピノザの哲学は多くのことを教えてくれます。近代のこれまでの達成を全否定する必要はありません。しかし反省は必要です。スピノザはその手助けをしてくれるのです。

 

■『NHK100分de名著 スピノザ エチカ』より

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