教養

「ソロモンの指環」とは何なのか


2018.09.09

『NHK 100分de名著 for ティーンズ』で作家・瀬名 秀明(せな・ひであき)さんが解説する作品は、オーストリアの動物行動学者コンラート・ローレンツの『ソロモンの指環』です。タイトルの「ソロモンの指環」とはいったい何なのでしょうか。

 

*  *  *

 

「私はここよ、あなたはどこ?」

 

オーストリア出身の動物行動学者、コンラート・ローレンツ(1903〜89)の『ソロモンの指環(ゆびわ)』は、まず読み物としてとても面白い本です。もともと若い人向けに書かれた本だということですから、今回の「for ティーンズ」というテーマにもふさわしいでしょう。

 

みなさんが、これからもし科学というものを好きになったとしたら、どこかで必ずローレンツの名前を聞くことになると思います。いまこの本を読めば、たぶん科学が好きになるだろうと思いますし、ひょっとしたら、やがて研究者になる人もいるかもしれません。ぼく自身は大人になってから読んだのですが、もし誰かにすすめられて十代の頃にこの本を読んでいたら、いまよりも大きな影響を受けていたことでしょう。子どもから大人までの読者に、これから先、いつまでも読み継がれてゆく名著だと思います。

 

「動物行動学入門」と日本語版の副題にあります。鳥や魚をはじめとする動物たちへの驚くべき観察力と、そこから人間社会にも通じる法則や理論を導きだしてゆく、深い洞察力(どうさつりょく)。そして、愉快(ゆかい)なエピソードを生き生きと綴(つづ)る、ユーモアたっぷりでウィットに富んだ文章。また、著者自身とアニー・アイゼンメンガーという人の手になる挿絵も楽しい。「入門」らしく、読みながらわくわくして、好奇心を刺激されずにはいられません。

 

はじめに、題名になっている「ソロモンの指環」とはいったい何なのか? ということから、お話ししましょうか。

 

全部で十二章あるこの本の、真ん中あたりの第六章「ソロモンの指環」で語られているのですが、ソロモンとは、旧約聖書に登場する、古代イスラエルの三代目の王様の名前です。聖書の「列王記」に、知恵が豊かなソロモン王は、「けものや鳥や魚や地を這(は)うものどもについて語った」というくだりがあるのです。その話が、ほかの伝説の中で「けものや鳥や魚や地を這うものどもと語った」と変わり、王は魔法の指環をつけると、あらゆる動物のことばがわかり、動物たちと話ができたという物語になりました。

 

それに対してローレンツは、こう書きます。

 

けれど私は、自分のよく知っている動物となら、魔法の指環などなくても話ができる。この点では、私のほうがソロモンより一枚うわてである。ソロモンは指環なしでは彼にもっとも親しい動物のことばすら理解できなかったのだから。(略)魔法なんかの助けをかりなくとも、生きている動物たちはじつに美しいつまり真実の物語を語ってくれる。

 

そう、つまりこの本は、好きな動物のことばがわかり、動物と話ができる人が書いた本なのです。ドイツ語版(1949)の原題は、いまの話に由来する『彼、けものども、鳥ども、魚どもと語りき』という風変わりなもので、「彼」とはローレンツのことです。1952年出版の英語版で、“King Solomon’s Ring ” すなわち『ソロモンの指環』というシンプルな題名になりました。日本語版(1963)もそれにならったのですね。翻訳者は、やはり有名な動物行動学者の日高敏隆(ひだか・としたか)さんで、この人の書いた科学や自然に関するエッセイもおすすめです。

 

ローレンツは子どもの頃、セルマ・ラーゲルレーヴの『ニルスのふしぎな旅』や、ラドヤード・キプリングの『ジャングル・ブック』といった本を愛読していました。どちらも動物と話ができる子どもたちの物語です(そしてどちらの作者もノーベル文学賞を受賞しています)。

 

『ジャングル・ブック』に登場するモウグリは、オオカミに育てられた少年で、人間とも話ができるのですが、オオカミや黒ヒョウなどの動物と、動物のことばで話すことができます。『ニルスのふしぎな旅』では、主人公のニルス少年が、トムテという妖精(ようせい)によって小人にされ、動物のことばがわかるようになります。ニルスはガチョウに乗って、渡り鳥のガンの群れといっしょに、スウェーデンの空を旅します。

 

ほかにも『白い牙(きば)』などで知られるジャック・ロンドンや、「動物記」のアーネスト・シートンのような、自然界の動物のことを正確に描写(びょうしゃ)し、しかも面白くて夢中になれる物語を書いた作家たちの本に接しながら、ローレンツは動物の観察に興味を持つようになりました。中でも特に『ニルスのふしぎな旅』は、幼い頃、寝るときに読み聞かせてもらったので、彼にとってきわめて印象深い本だったようです。

 

そこに出てくるハイイロガンは、ローレンツが終生愛した鳥でした。第七章「ガンの子マルティナ」に、次のようなくだりがあります。

 

子ども時代、私は『ニルスのふしぎな旅』から、はかり知れぬ影響を受けた。このすばらしい本の著者であるセルマ・ラーゲルレーヴ女史は、ガンのこの気分感情声の意味を天才的なひらめきでみごとにいいあてた。彼女はヴィヴィヴィ? というこの声を、「私はここよ、あなたはどこ?」と訳したのである。

 

子どもの頃に読んだ『ニルスのふしぎな旅』の中の「私はここよ、あなたはどこ?」というガンのせりふは、実際に鳥たちといっしょに暮らすことで、彼自身にも理解できるようになり、鳥たちとの意思疎通(いしそつう)の原点となりました。そしてこのせりふはローレンツが八十六歳で亡くなる半年前に出版した、最後の本の題名ともなります。遺著(いちょ)となった『ハイイロガンの動物行動学』(1988)の原題は、まさに『私はここよ、あなたはどこ?』で、しかも本書の最後に引用されるのが、このガンのせりふなのです。彼の人生は最後まで一貫して、『ニルスのふしぎな旅』とともにありました。

 

■『NHK100分de名著 for ティーンズ』より

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