教養

生かされていることへの責任感


2018.06.16

神谷美恵子の「生きがい」の哲学を理解するうえで重要な鍵語のひとつに「変革体験」があります。ここで神谷がいう「変革体験」とは、「生きがい」に向かって人生を生きなおす契機になるような経験を指しています。この出来事は、時間という過ぎ行くもののなかで生きていた私たちを「永遠」という過ぎ行かないものに導く、とも彼女はいいます。批評家・随筆家の若松英輔(わかまつ・えいすけ)さんが、神谷美恵子と「変革体験」について解説します。

 

*  *  *

 

「変革体験」という言葉は少し、現代にそぐわないかもしれません。神谷がここで語っていることは、「生きがい」に「目覚める」経験だともいえる。

 

眠りから「目覚める」とそこに朝がある。私たちが朝を作ったのではありません。朝を「待った」のです。そして、「目覚め」、朝を発見する。「生きがい」は、朝のようなものです。

 

先に闇と光が不可分であるばかりか、闇にあるとき、私たちは一層強く光を求め、光を感じる、と述べました。私たちが夜、眠っているとき、太陽は消えたのではありません。その光は、月によって私たちを照らします。闇のなかで月を見るとき、私たちは昼間以上に太陽の光と深い関係を持つことがある。昔の言葉で月の光を、「月影」といいますが、法然をはじめ、月影に永遠を詠った歌人が多いのも、そうした体験があるからだと思います。

 

さて「変革体験」というと、世にいう神秘体験のようなものが想像されるかもしれませんが、神谷が考えているのはそうしたものばかりではありません。彼女が強調するのは、変革体験のきっかけが、私たちの日常生活の随所にあるという事実です。

 

「この永遠性の意識が、かならずしもこの世における現在の生とかけはなれた遠い未来として体験されているのではなく、すでに『いま』、『ここで』いきいきと体験されているということである。少なくとも、単なる借りものでない『生きられた永遠』はそうであると思われる」といい、神谷は「変革体験」が、私たちが見過ごしがちな日常のなかでこそ、生起していることを強調します。

 

「生きられた永遠」とは、けっして過ぎ去ることのないこととして、私たちの心のなかで生き続けるあるものの表現です。現象としては、ある特定の日に起こる。しかし、その意味は終わることなく深化していく、というのです。

 

次に引く一節は、『生きがいについて』では、「或る日本女性の手記である」として紹介されていますが、おそらく神谷自身の経験だと思われます。彼女は後年、自伝である『遍歴』で「『光』体験によって心の泥沼から救い出されたことを思い浮かべていた」とも記述しています。

 

この経験を彼女は、『パンセ』の著者で哲学者のパスカルに比しながら、次のように記しています。

 

何日も何日も悲しみと絶望にうちひしがれ、前途はどこまで行っても真暗な袋小路としかみえず、発狂か自殺か、この二つしか私の行きつく道はないと思いつづけていたときでした。突然、ひとりうなだれている私の視野を、ななめ右上からさっといなずまのようなまぶしい光が横切りました。と同時に私の心は、根底から烈しいよろこびにつきあげられ、自分でもふしぎな凱歌のことばを口走っているのでした。「いったい何が、だれが、私にこんなことを言わせるのだろう」という疑問が、すぐそのあとから頭に浮かびました。それほどこの出来事は自分にも唐突で、わけのわからないことでした。ただたしかなのは、その時はじめて私は長かった悩みの泥沼の中から、しゃんと頭をあげる力と希望を得たのでした。それが次第に新しい生へと立ち直って行く出発点となったのでした。

 

自分の視野を「いなずまのようなまぶしい光が横切」ったというのは、とても鮮烈な表現です。これをそのまま視覚的な経験として理解することもできますが、問題は、そのあとにやってきた「烈しいよろこびにつきあげられ」た、という歓喜の経験です。彼女は何の前ぶれもなく、自分の生きる意味がすべて肯定されたと感じるのです。また、「自分でもふしぎな凱歌のことば」というのは、おそらく「私は生きている!」といった類(たぐい)のことばで、それを思わず叫ばずにはいられないような出来事なのでしょう。

 

表面的に読むと、なかなか理解しがたい体験、あるいは思いこみや錯覚のような雰囲気を感じてしまいます。しかし、神谷は精神科医です。彼女はこの他人には容易に受け容れられがたいであろう感触を超え、生の確かな手ごたえへと深めていきます。

 

変革体験はただ歓喜と肯定意識への陶酔を意味しているのではなく、多かれ少なかれ使命感を伴っている。つまり生かされていることへの責任感である。小さな自己、みにくい自己にすぎなくとも、その自己の生が何か大きなものに、天に、神に、宇宙に、人生に必要とされているのだ、それに対して忠実に生きぬく責任があるのだという責任感である。

 

ここで見過ごしてはならないのは「生かされていることへの責任感」という言葉です。先の烈しいともいえる歓喜は、自分は「生かされている」ということの発見だったと神谷はいうのです。

 

生きたいように生き、何かを達成する喜びとは違う、「生かされている」ことを全身で感じる歓びは、「生きがい」の発見につながるというのです。それは、「神に、宇宙に、人生に必要とされている」とあるように、人間を超えた大いなるものは自分を生かしている、大いなるものが自分を必要としている、という感覚だというのです。そこに「生きる」という素朴な、しかし、深い使命感が生まれるのは必然かもしれません。

 

■『NHK100分de名著 神谷美恵子 生きがいについて』より

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