教養

SF小説『ソラリス』とタルコフスキーの映画との決定的な違い


2018.01.20

二度にわたって映画化されたSF小説の金字塔『ソラリス』。しかし、原作者のスタニスワフ・レムは両映画作品に不満を持っていたそうです。

 

90年代半ば、レムに直接インタビューしたロシア・東欧文学研究者で、東京大学教授の沼野充義さんが、原作とタルコフスキーの映画の違いを解説します。

 

*  *  *

 

『ソラリス』の最初の本格的な映画化であるタルコフスキー監督の「惑星ソラリス」は、レムが示した「異質な他者と向き合う」という姿勢とは、実はほとんど正反対の方向を向いた映画でした。その違いは、結末のクリスの独白にはっきりと表れています。

 

小説の結末は次のとおりです。

 

しかし、ここから立ち去ることは、未来が秘めている可能性を──たとえその可能性がはかなく、想像の中にしか存在しないものであっても──抹消してしまうことを意味した。それなら、やはり、これから何年も、私たちがともに触れた道具や品物に囲まれ、彼女の息をまだ覚えている空気の中で過ごすべきなのだろうか? いったい何のために? 彼女が戻ってくることを望んで? いや、私に望みはなかった。しかし、私の中ではまだある期待が生きていた。それは彼女の後に残された、ただ一つのものだ。私はこの上まだどんな期待の成就、どんな噛笑、どんな苦しみを待ち受けていたのだろう? 何もわからなかった。それでも、残酷な奇跡の時代が過ぎ去ったわけではないという信念を、私は揺るぎなく持ち続けていたのだ。

(「古いミモイド」)

 

映画のシナリオでは次のようになっています。

 

まあ、いい。いずれにせよ私の使命は終わった。で、この先は?
地球に帰るのか? (中略)それともここに残るべきか? 私たち二人が手を触れた品物、まだ彼女の息を覚えている品物に囲まれて。でも何のために? 彼女が戻ってくるかも知れないという望みのために? でも私にはそんな望みはない。私に残された唯一のことは、待つことだ。何を待つのかは、わからない……。新しい奇跡だろうか?

 

クリスは映画では、明らかに地球に帰ることを考えながら何かを待っていて、それは「新しい奇跡だろうか?」と述べられています。レムの原作では、残酷な奇跡の時代はまだ終わっていないというのがクリスの主張でした。しかし映画でそれは「新しい奇跡」と言い換えられています。タルコフスキー的文脈で新しい奇跡を待つというのは、宗教的な意味での救済や、理知を越えたところでの救いを期待するということでしょう。となると、向いている方向はかなり違うと言わざるを得ません。

 

映画の最後には、原作にないクリスの地球上の家や父母が登場します。これは、結局この映画が、異質な他者との対峙をやめて、限りなく懐かしいものに回帰しようとしたことを示しています。こうしてシンボルは母から、母なるロシア、大地(地球)へとつながっていき、映画はレムの小説とは根本的に違うイデオロギー的意味を担うに到ります。ここまでに述べたレム独自の認識論的スタンスは、それとは大きく違うものでした。「不完全な(欠陥のある)神」が戯れる宇宙を前にして、「残酷な奇跡」から日をそむけようとはせずに、違和感に身を貫かれながらも、あくまで未知の他者に対して開かれた姿勢をとり続けること──それがレムの姿勢だったからです。

 

ちなみにレムは、海の他者性を無視して郷愁に回帰したタルコフスキーの映画に(当然ながら)大変不満で、二人は映画の製作中、三週間の議論の末に喧嘩別れをしています。

 

■『NHK100分de名著 スタニスワフ・レム ソラリス』より

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