教養

SF小説の傑作『ソラリス』の多層性


2018.01.18

スタニスワフ・レムのSF小説『ソラリス』では、一つの解釈には収まらない広い世界観が示されています。様々な解釈を許す豊かな小説世界の魅力を、同書の翻訳者で東京大学教授の沼野充義さんに聞きました。

 

*  *  *

 

近現代の文学作品で名作として名高いものには、解釈の多様性を許すという共通点があるように思います。「この作品を読んだらこう受け取らなければいけない」と一つの解釈を押しつけるのではなく、様々な読み方が可能であるという作品です。

 

『ソラリス』も世界中で読まれるだけのことはあって、非常に多様な解釈が可能です。多様な解釈が可能だということは、作品にいろいろな側面があることを意味します。

 

ここで、SF作品としては例外的に多く存在する『ソラリス』の研究文献の中から、いくつかの解釈を紹介しましょう。たとえば、アメリカのハンガリー系SF研究者、イシュトヴァーン・チチェリ=ローナイは、「大部分の批評家がこの小説を<メタ・サイエンスフィクション>として、ジャンル批判およびジャンルに含まれた可能性の探索の見事な手本として論じてきた」と言っています。

 

「メタ」というのは、文芸批評においては「○○を越えて」「○○について意識的な」という意味で使われる言葉です。つまり「メタ・サイエンスフィクション」というのは、SFというジャンルそのものに対して批評的である、あるいは、SFというジャンルが本来持っている可能性とは何なのかを追求することを目標としている小説のことです。そしてチチェリ=ローナイは、「『ソラリス』はいくつもの並行した、あるいは相反するような解釈を誘っている。スウィフト流の風刺として読むこともできるし、カフカ風の実存的裏話、解釈学のメタフィクション風パロディ、セルバンテスを思わせるアイロニックな騎士道ロマンス、はたまた人間の意識をめぐるカントばりの観照として読むことさえできる」と述べ、様々な読みの可能性を指摘しています。

 

また、レムも卒業したヤギェロン大学の教授で、二十世紀の前衛文学研究の大家であるイェジイ・ヤジェンプスキは、『ソラリス』の多層性を次のように整理しています。曰く、この小説はまず第一に恐怖小説を模倣する物語であり(そこにラヴ・ロマンスの要素が付け加わっていく)、次に精神分析的な読みを可能にする存在論的論考であり、科学についての──その限界と可能性を論ずる──いわばメタ科学小説でもあり、人間の意識をめぐるデカルト的裏話でもあり、神をめぐる形面上学的小説でもあり、そして最後に<コンタクト>をめぐる典型的なSF小説でもある──と。

 

さらに、日本人の心理学者、丹野義彦は、レムはSFを書く際の問題意識として三つの問いを立てていると述べています。第一の問いは、私たちはどこから来たのかという「起源への問い」。第二の問いは、人間という存在はいったい何なのかという「存在への問い」。そして第三が、この世界の仕組みはどうなっているのかを解き明かすべき「認識への問い」です。これはすなわち科学のことです。この三つの問いがレムには常にあったというのですが、『ソラリス』が傑作であるのは、この三つの問いがすべて重なり合っているからだと丹野氏は指摘しています。言われてみるとなるほどそうで、私は彼の評論は、日本におけるレム論のもっとも優れたものの一つではないかと思っています。

 

人間以外の理性との接触の物語

 

このように、少し挙げただけでもこの『ソラリス』には様々な側面や解釈があるわけですが、指摘されていることにはどれも理があると思います。しかし、あえて単純化して言えば、『ソラリス』という小説は「コンタクト」、つまり人間と人間以外の理性との接触の物語だと言えるでしょう。また、私なりの考えをもう一つ言わせていただくなら、この小説を読む際には、チチェリ=ローナイやヤジェンプスキの言うような「スウィフト流の風刺」や「デカルト的寅話」などの既存の文学に引きつけた読みは、あまりしないほうがよいかもしれません。

 

というのは、読者にとっては、この作品との遭遇が、まさに未知との遭遇だからです。『ソラリス』のような小説は、おそらくレムがこれを書くまで存在しなかったのではないかと思います。今まで見たこともない不思議な人や、読んだこともない異質な作品に遭遇したとき、多くの批評家や読者が本能的に行うのは、それを自分の知っているものに紐づけるということです。未知のものは位置づけられないため不安になりますが、「これは新しいカフカだ」などと言ってみれば、わかったような気になれます。しかし、レムという未知との遭遇は、それで片付けてしまわないほうがよいのではないかと思うのです。どんな作家、どんな作品につなげてみても、それだけでは理解しきれない。『ソラリス』という小説はそれほどユニークな作品です。

 

■『NHK100分de名著 スタニスワフ・レム ソラリス』より

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