教養

二十世紀世界文学の古典となったSF小説『ソラリス』(スタニスワフ・レム)


2018.01.16

「ポーランド」という国になじみはなくても、同国の「スタニスワフ・レム」という作家の名前を聞いたことがある人も多いはず。SF小説の傑作『ソラリス』は、ポーランド国内でいまだに版を重ね、世界40カ国語以上に翻訳されています。また1972年に旧ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキーが、2002年にはアメリカのスティーヴン・ソダーバーグがそれぞれ映画化しました。

 

『ソラリス』(国書刊行会/ハヤカワ文庫)の翻訳者で、『スタニスワフ・レム コレクション』も手かげた東京大学教授の沼野充義さんに、『ソラリス』との出会いと、その魅力を聞きました。

 

*  *  *

 

『ソラリス』という小説は、一言で言えば、人間と人間以外の理性との“接触”、の物語です。主人公の心理学者クリス・ケルヴィンは、その表面を覆う海が意思を持つとされる惑星ソラリスの謎を解くため、ソラリスの海の上空にある観測ステーションにやってきます。しかし、そのステーションでは異様なことが起きており、そこにいた研究員たちの言動は不穏で、やがてクリスの身にもソラリスの海がもたらす不可思議な現象が起きることになります。

 

私が初めて『ソラリス』を読んだのは十五歳頃のこと。早川書房の『世界SF全集』の一巻に収められた、ロシア語訳からの日本語訳でした(『ソラリスの陽のもとに』飯田規和訳)。その頃すでに熱烈なSF少年であった私は、この全集のあれこれの巻を手当たりしだいに読み進めるうち、たまたまレムの巻に出会いました。それは偶然でした。ハインラインやアシモフ、ブラッドベリといったアメリカの作家たちのSF小説を主に読んでいた私にとって、「レム」も「ソラリス」も聞いたことのない名前だったのです。

 

しかし、『ソラリス』を読み始めて、私はすぐに理解しました。自分がいま手にしているものは、これまで読んできたSFのどれとも似ていない、何か根本的に違うものだということを。読み進めるうちに、これは特別に強い力をもって読者を引き込む作品であることがわかり、私は単におもしろいというよりは、むしろ、恐怖のような感覚を覚えました。まだ十代半ばの少年であった当時の私には、それを何と呼ぶべきかはまだわかりませんでしたが、いまならば、「形面上的恐怖」とでも呼んでみたいと思います。それは人間の認識能力の限界を試し、それを越えようとする状況から生ずる感覚です。『ソラリス』の登場人物たちは、読者とともに、「未知の他者」と向き合い、その前で自分の認識能力の限界を悟るとともに、他者に向かって自らを開いていき、違和感そのものに身をひたすのです。

 

結局、レムを翻訳で読んだことがきっかけとなり、私は後にポーランド語を学び、専門とするロシア文学の研究と並行して、ポーランド文学探索の道にも足を踏み入れることとなりました。ひとえにレムを原文で読みたいがために、この不思議な世界は原文ではどうなっているのだろうか、という知的好奇心に突き動かされて、ポーランド語の勉強を始めたと言っても誇張ではありません。そして2004年には、とうとう『ソラリス』のポーランド語原典からの全訳を出すことができました。

 

レムは驚異的に博学な作家で、「ソラリス」のような本格SF長篇以外にも、自らが生きた同時代を扱った非SF小説、風刺と諧謔(かいぎゃく)の精神の生きたSF短篇、科学や文学に関する理論的著作、時事批評など非常に多彩な作品を生み出しています。しかし、中でも群を抜いて人気が高いのはやはり『ソラリス』です。この小説には、まずSFファンの想像力をかきたてる、宇宙の未知を探る「冒険」、そしてソラリスの観測ステーションで生じた奇妙な現象に関するスリリングな「謎とき」の側面があります。加えて、人間の意識下によどんだもっともおぞましい形象をソラリスの海が実体化するという、ある種の精神分析的な物語の側面、さらには、そのおぞましさが「懐かしさ」に反転して愛の奇跡がもたらされるという恋愛小説の側面もあります。

 

今回は、SFファンがあまり意識していないかもしれない、レムをレムたらしめた地政学的・文化史的文脈にも触れながら、いまや二十世紀世界文学の古典とも言えるこの小説を、みなさんと読み解いていきたいと思います。

 

■『NHK100分de名著 スタニスワフ・レム ソラリス』より

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