教養

幸福論の抹殺とファシズム


2017.04.27

三木清が雑誌「文学界」に連載したエッセイを一冊にまとめた『人生論ノート』では、21のテーマが論じられています。掲載順に紹介しましょう。

 

1938年 「死」「幸福」「懐疑」

1939年 「習慣」「虚栄」「名誉心」「怒」「人間の条件」

1940年 「孤独」「嫉妬」「成功」「瞑想」

1941年 「噂」「利己主義」「健康」「秩序」「感傷」「仮説」「偽善」「娯楽」「希望」

 

哲学者の岸見一郎(きしみ・いちろう)さんが、「幸福」についての三木の思想をひもときます。

 

*  *  *

 

幸福論の抹殺とファシズム

 

幸福について論じた一篇は、いきなり冒頭でこう指摘します。

 

今日の人間は幸福について殆(ほとん)ど考えないようである。試みに近年現われた倫理学書、とりわけ我が国で書かれた倫理の本を開いて見たまえ。只の一個所も幸福の問題を取扱っていない書物を発見することは諸君にとって甚だ容易であろう。

 

書かれたのは戦前の1938年。しかし倫理・哲学の書で幸福が真正面から扱われることは少ないという状況は今も同じです。

 

なぜ、少ないのか。すでに十分に幸福だから語る必要がないのか──。そうではありません。

 

むしろ我々の時代は人々に幸福について考える気力をさえ失わせてしまったほど不幸なのではあるまいか。

 

これは今読んでもどきりとする一文です。効率至上主義の職場で身も心も磨耗(まもう)し、競争社会の人間関係に疲れ果て、幸福について考える時間的余裕も気力もない──。けれども、幸福を求めていないというわけではありません。

 

幸福の要求がすべての行為の動機であるということは、以前の倫理学の共通の出発点であった。

 

不幸になりたいと思う人はいません。誰しも幸せになりたいと願い、自分のためになることを欲しています。しかし現実には、人間的な幸福の要求は抹殺されようとしていました。

 

幸福の要求が今日の良心として復権されねばならぬ。

 

注目したいのは、三木が「復権」という強い言葉を用いている点です。時代背景を考えるとよくわかります。

 

これが掲載されたのは、戦争のために国家が国民の権利を制限し、財産などを利用できるようにする国家総動員法が公布された2カ月後のこと。幸福を求めてはいけない、それは自分本位な行為だという空気が漂っていたことは容易に想像できます。後に「欲しがりません勝つまでは」というスローガンに表れるような、自己犠牲や滅私奉公を美徳とする風潮が人々の心に影を落としはじめていました。

 

もちろん、どんな時代も自分だけが幸福になるということはできません。人は社会から離れて存在したり、幸福になったりすることは本来的にはできないからです。その意味で、個人は社会に規定されないわけにはいきませんが、あくまで個人は社会に対して独立であるということも、同時に認められなければなりません。

 

みんなのために──といえば聞こえはいいですが、「みんな」が個人に必ず優先するわけではありません。みんな=社会を優先せよ、という考え方は非常に危険です。これは全体主義、ファシズムにつながっていくことになるからです。

 

幸福を求めることに良心の呵責(かしゃく)を覚えるようなことがあってはいけない──という三木のメッセージは、当時の読者にはかなり新鮮だったと思います。しかし、はたしてこれは当時だけのことなのか。現代においても、チームのため、会社のため、組織のためにという言葉の陰で、幸福の要求が抹殺されてはいないでしょうか。

 

幸福論を抹殺した倫理は、一見いかに論理的であるにしても、その内実において虚無主義にほかならぬ。

 

虚無主義は独裁の温床だと三木は言っています。生きていても意味がない、人生なんて何の価値もないと嘯(うそぶ)く虚無主義者(ニヒリスト)が増えれば増えるほど、独裁者には好都合です。世界的なテロ組織が集めているのも、そうした若者たちです。

 

■『NHK100分de名著 三木 清 人生論ノート』より

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